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バイユーに着きました

昨夜、ノルマンディー地方のバイユーに着きました。
写真の真ん中あたりの町です。

オマハビーチなど、上陸海岸に近いところです。

at 16:18, 主義者Y, 旅の写真

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パリに着きました

パリに着きました。天気は曇り。それほど寒くはありません。
空港からすぐサンラザール駅に移動。
駅前のレストランで遅い昼御飯というか、ほとんど晩ごはんを食べてます。
あと一時間ちょっと待って、サンラザール駅から出発します。

at 00:49, 主義者Y, 旅の写真

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それでは旅立ちます



羽田空港から旅立ちます。

at 22:28, 主義者Y, 旅の写真

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私は騙されていた

ご無沙汰をしております。

昨年の7・8月にイタリア〜アルバニア〜ギリシャの旅をしておったのですが
http://ichyamada.jugem.cc/?eid=1180

ふと気になってグーグルマップの航空写真で、昨年行ったアルバニアのドゥラスを見てみたのです。
そこで今更ながらにわかった、フェリーターミナルから鉄道駅まで歩いてすぐ行ける距離だったという衝撃の事実!!
わたしを乗せたタクシーは、あらぬところをわざわざ遠回りして運賃をふんだくったのだった!!




写真左上のバスが並んでいる区画の右側に駅舎があり、そこから線路が伸びています。

あの運転手めえええ!!くそおおお!!!

もっと事前にリサーチしておけばよかった。無念。
 

at 21:13, 主義者Y, 旅の写真

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ドーハに着きました 旅のおわりに

アテネから帰路に着き、乗り継ぎ地のドーハ(カタール)に着きました。ここでの待ち時間は6時間あります。行きに同じ場所で投稿したときは気付かなかったけど、スマホのデザリング機能など使わずに、空港の無線LANで無料アクセスできたのですね。

PCの充電も限られているので思いついたところから。



やっぱり何といっても、アルバニア行きが得がたい体験としてあるわけで、ドゥラスに着いたときに両替所がなかった旨は書きました。ドゥラスからティラナまでは鉄道が一日4本走っていて、それに乗ってみたかったけど断念してバスで移動しました。そのドゥラスの駅もただならぬ雰囲気というか、廃ビルとまでは言わないまでも、ほとんど無人の待合室のつき当たりに、切符売り場の窓と思しき四角い穴が開いていたという・・・上の写真の背後のほうです。スマホでは撮りましたが。



灼熱のプラットホームにも誰もいません。このあと1時間後の発車ですから当然でしょうが。
少し動転してカメラが斜めになっています(笑)



けっきょく駅のすぐ前のバスターミナルからティラナ行きに乗りました。客席が埋まってから発車したようでした。そんなに待たなかったと思います。



ティラナの中心に近づく。なぜか沿道にやたら車のホイールを並べて売っている店がありました。写真を撮っておけばよかった。翌日ティラナの空港へ行くバスからも、自動車の部品を並べている店がたくさんありましたので、需要があるのでしょう。



こんなバスに乗ってきました。50分くらいで着いたと思います。運賃は日本円換算で100円くらいだったかな。



着いたバス停のそばにあるティラナ駅の切符売り場。こちらも無人です。発車まぎわにしか売らないのでしょう。それでもドゥラスの駅に比べればこちらのほうが立派。



トルコ統治時代に造られた橋です。



いまでも現役として街の人の通路となっています。



これは国立歴史博物館の正面。
古代から現代まで、戦うアルバニア人民の姿というところでしょうか。共産党時代の遺物です。


あああ、もう充電が切れる!

at 01:25, 主義者Y, 旅の写真

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クレタ島に着きました

アルバニアのティラナから、アテネ経由でクレタ島イラクリオンに着きました。
ホテルにチェックインして、シャワー浴びたりしてたら、もう午前1時。

ともかく寝ます。

クレタ島・・・けっこう良いところかも。

at 07:01, 主義者Y, 旅の写真

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アルバニアに渡りました

昨夜23時バーリを出た船は、今日の朝8時にアルバニアのドゥラスに着きました。

バーリの駅から荷物をゴロゴロ転がして30分。船の切符を買えるのはおそらくこの辺りと、事前にネットなどで調べた場所へ向かいました。いくつかの旅行記を発見したのですが、切符を売っている場所と船に乗り込む場所がかなり離れているのだという情報がありまして、正確なところがいまいち摑みかねていたのですね。それでも時間に余裕をもって行けば、対処のしようもあろうかとチケット・オフィスにたどり着いたのは20時ころでした。切符もすんなり買えて、乗り場も同じところだと言われ、なんだ杞憂だったなあと拍子抜け。とにかく切符のゲット優先で来たので晩御飯をまだ食べていませんでした。船のなかで何か食べられればいいのだけど、何も食べずに乗り込んで船のなかに何もなかったら嫌だなあと、街に引き返して食べることにしました。フェリー乗り場には、軽食やら持ち込んで食べるようなものを売っているお店はありません!日本の感覚だとちょっと信じられませんが。

船に乗り込んだら、ちゃんとセルフのレストランは営業してました。切符を買うときに訊けばよかったのですね。なんかアホです。でもまあ街中で海鮮MIXの美味しいスパゲッティを食べてきたので結果オーライでした。船室はキャビンでコソヴォの青年と相部屋になりました。「コソヴォ!」と叫んだ私に、青年は「ドイツ・・・ルーマニア・・・コソヴォ」と、国の名前を並べてコソヴォは独立国なんだよと教えてくれるような言い方でした。すみません、ちゃんと知ってます・・・コソヴォだったら、つまりあなたはアルバニア人!というふうに若干興奮して私は「コソヴォ!」と叫んだのでした。決して「それはどこの国だ?」という疑問形ではなかったのですよ・・・





船内設備は、まあそれなりというか、なんとなくアルバニアの人々がイタリアから帰るための船なんだという感じがしなくもない・・・あまり観光客を乗せているという雰囲気がしない・・・

そう・・・もうひとつの心配は、アルバニア側のドゥラス港に果たして両替所はあるのか?ということでした。ユーロをいくら持っていたって、アルバニアのお金がなければ何も買えない・・・ネットで見た旅行記には、そんなことを書いていた人もいました。国際航路の港に両替所がないなんて、そんなバカなことが?って思うでしょう。ふつう、そう思いますよね。

ありませんでした。両替所。

そんなバカな、と途方にくれながらも近くにいた警官に「両替は何処でできるのか?」と訊いたら、困った顔をして「街まで行かなければ両替はできない」と言われました。歩いていける距離ではありません。そこへタクシーの運転手と思しき青年がやってきて警官と話し、けっきょくタクシーで両替所まで連れてってもらうことにしました。両替を首尾よく済ませてからタクシー代を支払ったのですが、少しボラれたのかもしれません。港からタクシーが走り始めたときに、こちらに向かって札束を振るオジさんがいたので、両替に困る外国人客めあての両替屋がきっといたのでしょう。ただし、そういう人が適正なレートで換えてくれるのかはわかりませんけれども。



ドゥラスから首都ティラナまで、1日4本の列車が走っている。1時間くらいでバスより安い。
乗ってみたかったけど、駅の周辺はタクシーの客引きがうるさいし、お金をせびる女の子がつきまとう。もう早いとこティラナに行ってしまおうと、バスに乗り込んだ。所要45分で130レク(100円)。

駅の建物内に貼ってあったポスター。この絵柄のセンスは1930年代か?


ああそう・・・アルバニアに入ったら、なぜかスマホで送受信ができなくなりました。この記事はホテルの無線LAN経由でPCから送っています。明日の夜またティラナの空港から飛び立ちますので、このあとは少し投稿に間があくかもしれません。次の宿にチェックインするのは深夜の予定なので・・・

(2014年4月14日追記)
ドゥラスのフェリーターミナルから鉄道駅までは歩いて行けます。しかもすぐ近くです。
私は・・・タクシーの運転手に騙されていました。とほほ
http://ichyamada.jugem.cc/?eid=1224

at 04:37, 主義者Y, 旅の写真

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渡嘉敷島の集団自決跡地





碑文にあった現場の「背後の谷」というのがどこかよくわからなかったのですが、とりあえず撮ってみました。



「マブヤー」とは魂みたいなもののようです。元気がないと「お前、マブヤーをどこかに落としてきたんだろう」と言われるそうです。



泊まったホテルのすぐ裏手にあった特攻艇秘匿壕の跡。
沖縄本島に上陸する米軍を、背後の慶良間諸島から攻撃する計画だったそうです。





この特攻艇が用をなさずに島の守備隊となった隊の指揮官が、集団自決を島民に強要したのでした。

集団自決跡地の説明板から↓

1945年4月2日
ロサンゼルス・タイムス朝刊から


侵攻軍、日本民間人の集団自殺を発見 「野蛮なヤンキー」の噂で「拷問」より死を選ぶ日本人達 琉球列島、3月29日(遅)(AP)−


  米国の「野蛮人」の前に引き出されるよりも自殺する方を選んだ日本の民間人(注、渡嘉敷島の人々)が、死体あるいは瀕死の状態となって折り重なった見るも恐ろしい光景が今日慶良間列島の渡嘉敷島に上陸した米兵達を迎えた。
最初に現場に到着した哨戒隊に同行した、ニューヨーク市在住の陸軍撮影兵アレキサンダー・ロバーツ伍長は「いままでに目にしたものの中で最も悲惨」と現場の様子を表現した。
「我々は島の北端に向かうきつい坂道を登り、その夜は露営した。闇の中に恐ろしい叫びや鳴き声うめき声が聞こえ、それは早朝まで続いた」
と彼は語った。

散乱する死体

「明るくなってから、悲鳴の正体を調べに行くために二人の偵察兵が出ていった。彼らは二人とも撃たれた。その少し前、私は6ヶ所8ヶ所で手榴弾が炸裂し炎が上がっているのを見た。
開けた場所に出ると、そこは死体あるいは瀕死となった日本人(注、渡嘉敷島の人々)で埋めつくされていた。足の踏み場も無いほどに密集して人々が倒れていた」
「ボロボロになった服を引き裂いた布はしで首を絞められている女性や子供が少なくとも40人はいた。聞こえてくる唯一の音は怪我をしていながら死にきれない幼い子が発するものだった。人々は全部で200人近くはいた。」
「細いロープを首に巻きつけ、ロープの先を小さな木に結びつけて自分の首を絞めた女性がいた。彼女は足を地面につけたまま前に体を倒し窒息死するまで首の回りのロープを強く引っ張ったのだ。
彼女の全家族と思われる人々が彼女の前の地面に横たわっており、皆、首を絞められ、各々汚れた布団が掛けられていた。」
さらに先には手榴弾で自殺した人々が何十人もおり、地面には不発の手榴弾が転がっていた。
日本兵(注、島人の防衛召集兵)の死体も6体あり、また他にひどく負傷した日本兵(注、島人の防衛召集兵)2人いた。」 「衛生兵は負傷した兵士らを海岸へ連れて行った。
後頭部に大きなV字型の深傷を負った小さな男の子が歩き回っているのを見た。あの子は生きてはいけない、いまにもショック死するだろう、と軍医は言った。本当にひどかった。」
軍医達は死にかけてる人々にモルヒネを注射して痛みを和らげていた、とロバーツ伍長は語った。
負傷した日本人(注、渡嘉敷島の人々)を海岸の応急救護所まで移そうとしている米軍の担架運搬兵らを、道筋の洞窟に隠れていた一人の日本兵が機関銃で銃撃した。歩兵らがその日本兵を阻止し、救助活動は続けられた。
質問に答えられるまでに回復した日本人達(注、渡嘉敷島の人々)は米国人は女は暴行、拷問し男は殺してしまうと日本兵が言ったのだと通訳に話した。彼らは、米国人が医療手当をし、食料避難所を与えてくれた事に驚いていた。
自分の娘を絞め殺したある老人は、他の女性が危害を加えられず親切な扱いを受けているのを見て悔恨情にさいなまれていた。




オスプレイのニュースやってます。

at 08:30, 主義者Y, 旅の写真

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有料エレベーター

不思議なことに私、けっこう旅先では「偶然」の出来事に見舞われることが多いのでございますが、今日も驚きました(笑)

ローマで粘ったため、ナポリへの到着が19時ころになりまして、もうだんだんと街中が暗くなってくる頃に駅から荷物を引きずって、予約したホテルを探しました。歩いてさほど遠くない場所のはずなのに、いっこうに探しあたりません。しかたなく道端のお店の人に訊いてみたら、英語は通じなかったのですが、まわりの人にも訊いてくれてなんとなく位置を教えてくれました。たしかに私の歩いてきた通りに間違いはなかったのです。ただ・・・



この 「Sweet Sleep」 ってやつです。明るいうちならともかく暗くなって探すのは、ちょっと大変ですねえ。このプレートが視界にはいって「あれっ?」と思ったのと、若い男女のカップルが「おお〜ここがSweet Sleep だよ〜」と言いながらこのドアを入っていったのが、ほとんど同時でした。

私もすぐさま彼らに続いて入っていくと正面にエレベーターがあり、私のほうを振り返った彼らに、身振りで「お先にどうぞ」と譲ってあげました。ヨーロッパではよくある、外扉を手で開ける小さなエレベーターです。大きなスーツケースと人が3人では、いっぺんに乗ることはできません。ホテルの受付は6階(日本だと7階)です。

で、お二人さんは先にエレベーターに乗り込み、扉が閉まったはずなのに・・・いや、外扉についた小窓の向こう側で内扉が閉まるのが見えるはずなのに・・・いつまでたってもそのまま。上にあがっていく様子がない。

そして二人が出てきて、私に言うことには 「10セント硬貨を持ってませんか?」


有料のエレベーターだったんですね(笑) 驚きました。これ↓です。



10セント硬貨を白い機械?のなかに、ガシャンと押し込むとエレベーターが動くしくみです。
いやあ、こんなの初めて見た!

ポケットを探ってみると・・・あった! 1枚だけ、10セント硬貨が!

それで、私と女性とスーツケースがエレベーターに乗り、彼氏は7階まで歩いて登っていきました(爆)

私と二人が偶然同じタイミングで行き合わせたことで、ラッキーだったのは二人のほうだったのでしょうが(もし私がいなかったら・・・重いスーツケースを持って7階までのぼったのだろうか?)、まあ、お役に立てたことは嬉しいものです。

しかし、すごいエレベーターだなあ・・・明日は10セントの小銭をつくっておかなきゃ・・・



建物の内側から撮った写真。安い宿は、こういう入口のところも多いです。チェックインすると、たいてい通りから建物に入る表の扉のカギと、部屋のカギのふたつを渡されます。ここの宿はその中間(建物のなかのホテル部分に入るためのカギ)もあわせて、3つカギを渡されました。

もうちょっと良いホテルだったら、こんな苦労はしないんですがね・・・

at 06:50, 主義者Y, 旅の写真

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写真をいくつか

ノートPCでネット接続できましたので、何枚か写真をのせておきましょう。



ユングフラウヨッホ展望台に登ったときは完全に雲に覆われて絶望的な気分になりましたが、登山鉄道で降りる12時ちょっと前にさあっと雲が切れていきました。ほんとうに劇的な変化で、周囲の山々が鮮やかに姿を見せました。人々が歓声をあげるほどの感激でしたよ。登山鉄道は行きは始発指定で帰りは12時までに降りなければいけない割引切符(それでも日本円で1万円ちょっとはする)だったので、ギリギリ間に合ったというところです。あきらめて早めに降りなくて、本当に良かった・・・

みなさんこんな格好で防寒対策しているのに、半袖ワイシャツ1枚でぶらぶらしていたのは私ひとりだけでした。たしかに少し寒かったかな(笑)



10メートル先も真っ白で何も見えなかったのに、いきなりこれですから!



ユングフラウヨッホ駅から降りる途中のアイガーグレッチャー駅で。



スイスの郷土料理「レシュティ」
ジャガイモとベーコンとチーズが混ざり合って美味なこと!
まわりの日本人はみんなチーズフォンデュを食べてました。



翌朝、ホテルチェックアウト(11時)前に行ってみようと登ったフィルスト展望台。なんと街中からロープウェイで30分くらいで行けちゃいます。
こちらも上まで来たら完全な雲のなか状態で、時間もないことだしあきらめて降りようと決心したそのとき!まさにドラマです。



もっと写真をアップしたいのですが、そろそろ朝食を。
いまはイタリアのコモにいます。昨夜はじめてのイタリア入りとなりました。言葉ぜんぜんわからんです。新しい国に慣れるのは少し時間がかかりますね。

写真はコモ湖畔に立つ第一次世界大戦の戦死者の碑。

at 13:30, 主義者Y, 旅の写真

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