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今日は岩国市長選

転載です。

彦坂諦氏からの訴え

『ある無名兵士の奇跡』(拓殖書房新社)、『男性神話』(径書房)、『餓死の研究』(立風書房)、『九条の根っこ』(れんが書房新社)など。現在、「印西・九条の会」副代表。

岩国市という地方自治体に対する国家の理不尽にして非道な「いじめ」と「つくばみらい市」がネオナチ集団の恫喝に屈してDM問題講演会を中止したこと、茨城県韮崎高校もこの集団の脅迫に屈したこと、東京高輪のプリンスホテルが右翼の脅迫に屈服して、裁判所という「公平な第三者」の裁定にさえ従わずに、日教組に対して会場使用の契約を破棄したこと。

つい先ごろおこった以上の事件には、それがいずれも、わたしたちのこの社会が民主的なものでありつづけるために最低限必要な条件を暴力によって根底から覆そうとする動きである、という共通点があるのではないでしょうか。

言いかえると、いま、わたしたちのこの社会が直面しているのは、わたしたちがこの社会で生きつづけていくために最低限必要な条件、すなわち、わたしたちが自由に発言し、自由に行動することを、国家であれ地方自治体であれ企業であれ個人であれ、なんぴとも妨げてはならないという、根本条件が、一部少数の者たちによってその根っこから掘りくずされようとしている、という由々しき事態なのではないでしょうか。

こういった動きの一つ一つに、もし、このわたしが、一個人として、つまりわたしたちのこの社会を構成する一メンバーとして、主観的にはどのような動機や考えや感情によってであれ、個人的・私的に抗う努力をしないでいるとしたら、結果的に、わたしは、この社会の民主主義的基盤を掘り崩す力に同意し荷担したことになるでしょう。

このわたしは、いま、選択を迫られているのです。
なにかをなすか、なさないか。
すくなくともこの問題については、
二者択一を避けてなにもしないという
ことはむつかしいでしょう。
なぜなら、
なにもしないということは、なにもしないことを選択する
ということだからです。
このわたしがいま直面しているのは、
こういった根源的選択なのです。

このわたしにできること、
このわたしが欲すること、
このわたしが、しなければなるまいと思うこと、
それを、
このわたしにできるように、
このわたしが欲するように、
このわたしがしなければならないように、
このわたし自身がなす。
言いかえれば、
行動によって表明する。

これが、いま、このわたしに
このわたし自身が
要求していることであるのだ、と、
このわたしは考えます。

(同様に、彦坂諦氏からの二つ目の訴え)
なんだ「政治」の話か、カンケイナイよ、と思わないでください。
たしかに、このアピールはやたら漢字が多いし、言いまわしも固くって、読もうって気がおきないかもしれません。おなじことを言うにしても、もっとちがった「平和省プロジェクト JUMP」のメーリングリストにふさわしい言いかたがあるんじゃないのって、TさんやAさんあたりから言われそうですよね。ホント、このスタイル、古い。でも、まあ、ちょっと辛抱して、この内容に関心を向けてみてください。つまり、ここでなにをこのわたしに語りかけているのかしらって思ってみてください。

とってもたいせつなこと、それも一般的にじゃなくて、いまのこの時期にこの国のこの社会のなかで暮しているわたしたちにとってとてもたいせつなことを、このアピールは、わたしたちに訴えようとしているのです。どういうことか?

その一つは、日本国という名の国家が、具体的には日本国政府が、岩国市という地方の一自治体に対して、とてつもない理不尽な「いじめ」を執拗にくりかえした、その結果として、2月3日に告示された岩国市の市長選挙はおこなわれることになったのだ、ということです。

国家のしたことのなにがどう理不尽なのか?
まず、政府は、岩国にあるアメリカ軍の基地にこれまでよりずうっと多い数の航空部隊を厚木基地からの移転という形でもってこようとした。そこで暮らしているひとたちの気持など無視して、です。だから、それは困るって「地元」のひとたちが言いだし、市民投票をやったら、移転反対のひとが文字通り圧倒的多数だった。そういった市民の意向を尊重したからこそ、市長の井原勝介さんは、政府に対して、岩国への移転は断ります、と言った。

あたりまえのことでしょ、ここまでは? 
ところが、これに対して、政府は、それじゃ、いままで「くれてやっていた」お金は、もう「やらないぞ」といって、びた一文払わなくなった。このお金ってのは、基地があるためご迷惑をおかけしておりますという、いわば、迷惑料みたいなもので、基地を受け入れてきた市町村に政府が払ってきたものです。岩国市も、むろん、もらっていました。
ところが、今回は、この「移転」を断る以前にすでに支払うことに決まっていたお金まで(だって、岩国には以前から基地があったのですから)、今度この「移転」を断ったから「やらない」と言ってやめちゃったのです。

このこと自体おかしなことですが、それより、わたしがイヤなのは、そのやりかたがあまりにえげつないからです。よく「札束でほっぺたをひっぱたく」って言うでしょ? それを、日本国政府ともあろうものが、あられもなく、やってのける。岩国だけじゃありません。沖縄はじめ、アメリカ軍基地をガマンして受けいれているどの市町村に対してもおんなじことをやっているのです。お金をもらっているほうは、そのお金で、やっとのこと保育所を増やしたり、診療所を作ったりしているのです。

じっさい、岩国市の財政は、こうした政府の「いじめ」によってひじょうに困った状態に陥ってしまいました。そして、政府の言うことをおとなしく聴いてお金をもらおうじゃないかというひとたちが市議会では多数だった。だから、なんとかやりくりしようという市長さんの予算案を市議会が否決してしまった。進退窮まった市長さんは、それじゃ、もう一度市民の意志を選挙って形で問おうじゃないか、と言って辞職した。だから今回の選挙になったのです。

井原さんに反対するひとたちは、国に勝てるわけはない、おとなしく言うことを聴いて、お金をもらったほうがいい、と言うんです。このまま国にたてついていると、岩国市は夕張市の二の舞になるっぞといって、いま、岩国市民を脅してもいるそうです。

財政困難と言っても夕張と岩国とではその規模も性質もまったくちがう。そう批判することはできますが、それはさておき、問題は、ここで、このような形で国家の横暴をゆるしていいのか、ということではないでしょうか? この問題は、ですから、たんに岩国市の問題ではない。わたしたちみんなの問題です。国家のこのような非道を、地方自治体が、そしてそのもとで暮らす市民たちが、なにもせずに許容してしまったなら、わたしたちのこの国のこの社会が、これからも民主主義的でありつづけることができなくなる、とまでは言わないにして、そうとうにむつかしくなることは目に見えています。

こういう意味を持っている選挙がいま岩国市ではおこなわれようとしているのです。だからこそ、このわたしとしては、できるかぎりの形で、岩国市民のみなさんの思いが理不尽にも踏みにじられるようなことにならないため、力をつくしたいと思っています。
みなさんも、それぞれ、ご自分で考え、判断して、なにかなすべきであるとお思いになるのなら、それを実行してください。

一つめが長くなってしまったので、二つめは手短に。
市長選とか県知事選のたびにわたしがくやしい思いをしてきたのは、なぜ、ひどいことをするに決まっているようなひとを当選させてしまうのか、でした。言い換えれば、そういうひとを当選させないための市民の力を、共産党や社民党やその他の党派がバラバラに候補を立てることで、なぜ分散させてしまうのか、でした。この点で、岩国市のばあいはもとより、八王子市のばあいにも大きな希望が持てます。



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at 09:19, 主義者Y, 日米安保

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