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「三里塚」とは私にとって何なのか

1ヶ月以上もほったらかしたあとの、久しぶりの投稿。「何もする気がおきない」期間もけっこう長すぎたか・・・

このブログでもしばらく書いてきた「管制塔被告連帯基金」の訴えも実を結び、ついに目標額に到達した。とても嬉しい、素直に喜びたい。

それは驚くべきこと。そして当然のこと。
こんなことを現地の運動に関わりもしなかった人間が言ってしまうと、傲慢の謗りを免れないかもしれない。しかし・・

様々な党派関係による違いがあったとはいえ、三里塚闘争は新左翼運動のひとつの象徴だった。(過去形で語るな!という批判はとりあえずご容赦いただきたい・・)私にはそう見えた。その「新」左翼運動が昔日の面影を失ってから、すでに久しい。
現在に至る直系の水流を大きく創り得なかった、その事実は厳しく見つめなければならないだろう。運動は「状勢の変化」などによって、その水位を安易に回復などしない。

私はかつて、たまたまその周辺に逢着してしまった。夢を見た。だから「痛み」なしに、その歴史を語ることも、忘れることもできない。
1億円を超えるカンパを寄せた人々は、その中核は、多かれ少なかれそういう思いを抱えた人々ではないだろうか。その「過去」に泥を塗るような攻撃が、その事実が広く伝わっていくならば、必ず1億円は突破するだろう。「当然」と不遜にも表現したのは、そういう思いからだ。だが、「驚き」という喜びも大切にしたい。忘れえぬ思いを、かくも多くの人々が今も保ち続けていることを。

昨今の状況で、ブログに書いてもいいテーマや分野はいくらでもある。なのに、どうしてこうまで「三里塚」にこだわる? そう疑問に思われる人は多いはずだ。ましてや闘争に直接係わりのなかった人間が。
どなたかが某掲示板で、この度のカンパに応えることは「自分の魂のありかを宣言すること」と書いておられたと思う。おそらくその通りだ。私も「泥」を塗られたのだ。

だが、これを「すべての」人々が知るべき歴史だとまでは、私は思わない。人は行き逢った環境によって、それぞれの志と行程を刻む。その深浅を、特定の高所から見渡せるはずはない。沈黙と忘却の彼方に消し去ってならない経験は、中心を持たない。
ともかくも「防衛戦」には勝利した。もし私たちが未来に向かって、この社会の地殻を揺るがすような広がりをさらに求めるならば、もっと他者と出会う必要がある。その意味で1億円は、決して大きな数字ではない。
私たちの志や誇りは特権ではなく、それは同じように、私たちの知らざる場所で険しい道を拓いてきた人々との通路である。

それが実現できたときに、私は新左翼運動を「忘れる」ことができるだろう。



at 14:08, 主義者Y, 三里塚

comments(4), trackbacks(2), -

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comment
アッテンボロー, 2005/11/10 9:06 PM

 たまたま今日三里塚関連の記事を書きましたのでトラックバックさせて貰いました。内容が穏当ではないのでもし気に障りましたら削除して下さい。

主義者Y, 2005/11/12 2:25 PM

アッテンボローさん
中核派の軍事路線は、やはり「平和」を大きく損なうものだと私は考えています。それは場を改めて議論しましょう。
ただTBに関してはスパム的なもの、強い悪意のあるものをのぞいて、そのままにしておく方針です。
不思議なTBをつけてくださった方がいますけど(笑)

お体大事になさってください。

アッテンボロー, 2005/11/12 10:30 PM

 もし、軍事路線のことなどでお話しするのでしたら内のブログの鵬が適切でしょうね。もし必用でしたら書き込みしてください。

きのう板門店のとろちゃんで、攻撃しなかった。










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みんく, 2005/11/10 5:55 PM

仔犬(´・ω・`)みんくです!!

アッテンボロー, 2005/11/10 9:05 PM

 86年の春から夏にかけて、中核派は前年の10・20三里塚戦闘と11・29浅草橋