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アルチュセールへの誤解

まだ最後まで読みきっていないけど、(気力的に)書ける時点での読書メモ。

ポスト・マルクス主義の政治理論
ポスト・マルクス主義の政治理論
佐治 孝夫

著者名に馴染みはなかったけど、本の帯の「グラムシからアルチュセールへ」という言葉に惹かれて手に取ってみた。
マルクス主義の系列の諸理論を学ぶなかで、グラムシの「機動戦・陣地戦
」「ヘゲモニー」などの考え方に、先進国革命へのヒントを感じて大いに興味を持ったことがある。いわゆる「構造改革」派の人に接したことがないので、グラムシ理論が実践のなかにどう活かされてきたのかを具体的に知る機会はなかったが。原典の「現代の君主」(文庫版だったか)や「獄中ノート」の断片、何冊かの解説本・研究書を読んだけれども、他人に対して「グラムシの思想とは・・・」と自力で表現できるほどの内面化はできなかった(汗)
アルチュセールについては原典すら読んだことはなく、「現代思想」として一括的に解説した本のなかで接した程度のものだ。それでも、なんとなく「重層的決定」(いわゆる下部構造から上部構造への)という概念が頭にひっかかった。
そういう意味で十数年ぶりの復習的読書(笑)

本書のボリュームの大半はグラムシ思想の紹介と、実質的に社会民主主義に陥没した「ユ−ロ・コミュニズム」批判に割かれている。アルチュセールについては最後の章で扱っている。
で、「アルチュセールの言いたかったことは・・・」と、ここで解説できるほどの気力と力量を私は持っていない(大汗)

むかしの自分勝手なイメージで言うと、アルチュセールは後期マルクスを評価し、「資本論」の科学としての側面を強調する論者だった。だがしかし、
しばしば誤解されることであるが、アルチュセールは「科学」と「イデオロギー」を対極的二分法として捉え、科学の名の下に、イデオロギーを断罪したと理解されているが、それは完全な誤解なのである。むしろ反対に、既に触れたように、彼は人間が生きるために必須条件としてのイデオロギーを語ったのであり、さらに科学的認識はイデオロギーの内部から生成するしかないことを証明しようとしたのである。それによってアルチュセールは、マルクス主義思想史上初めて、イデオロギーの理論的概念を構築したのである。
おお!そういうことだったのか、私も「完全な誤解」をしていた。
思えば新左翼党派の活動家たちは、日本共産党の「科学的」社会主義に反発して、いわゆる初期マルクスの「経済学・哲学草稿」「ドイツ・イデオロギー」などに依拠して人間論的疎外論のほうに傾斜していたのではなかったか。非常に大雑把に言えば、革共同の哲学的創生をなした黒田寛一も、ブントの諸派に影響力のあった広松渉なども「疎外論」に力点を置いていたように思う。
レーニン〜スターリンの流れで、いわゆる「正統派」マルクス主義理論は原姿を成していくのだが、レーニン自身がマルクスの初期著作に接する機会をもたなかった(マルクスの遺稿が整理されて刊行されたのはレーニン死後だったと思う)こともあって、「スターリン主義」批判の哲学的立脚点として「初期マルクス」は大いに反代々木系の活動家には読まれたものだ。
これは私の勝手な推測であるが、相対的にいって「経哲草稿」「ド・イデ」を新左翼系の人間が読み、「資本論」のほうは日本共産党の生真面目な党員がむしろ多くチャレンジしていったのではないだろうか。(最後まで読み通した人間はきっと少数だったと思う。私も第1巻の価値論・商品論の部分と、資本制社会の歴史的生成を描いた部分しか読んでいない・・)

アルチュセールは「イデオロギー」と「科学」を、静的に対立した二項とは捉えていない。また、両者の真偽や優劣を論じたものではない。
事実、一般的には理論的認識は必ず常に、イデオロギーから出発しなければならない。科学とイデオロギーの原理的区別は、(これから本章が議論する)知識の生産過程についてのアルチュセールの見解にしたがうならば、「原材料」(古い概念)とその「生産物」(新しい概念)の相違にすぎない。それは理論的実践の以前と以後の相違の問題、すなわち、理論の生産過程による加工転換の以前と以後の問題にすぎないのである。イデオロギーは知識の生産過程による加工転換以前の科学なのであり、逆に科学は、それが原材料として、次の生産過程に投入される限りで、イデオロギーであると看做すこともできる。したがって、イデオロギーとは科学の「過去」に他ならない。
イデオロギーとは科学の「過去」に他ならない・・・うーん、これはストンと心におちる。この一文でアルチュセールへの大きな誤解から免れることができる。
「イデオロギー」も「科学」も日常語で使われる機会が多いから、アルチュセールのこの認識は実践的に裨益するところがあるだろう。

残りページも少ないけど、「国家のイデオロギー装置」の文脈でグラムシと交差してくるに違いない。

そのへんをここで展開できるかは・・・保証しません。


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at 01:10, 主義者Y, 読書

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comment
kamaton, 2005/10/04 2:35 PM

広松渉は疎外論に重きを置いていないと思うよ。今正確には思い出せないが。気力が戻ってきたら、さしあたり講談社現代新書の「今こそマルクスを読み直す」を読んでみるとよいでしょう。

板門店のとろちゃんが、系列を裨益したかった。


主義者Y, 2005/10/09 12:07 PM

>広松渉は疎外論に重きを置いていないと思うよ。

うっ、そうだったのか。得意じゃないこと(人)は知ったかぶりで書くべきじゃないな(大汗)
ただ、全体的な印象としては、日本共産党は「科学」や「歴史の法則」に重点を置いていたのに対して、新左翼側は「人間疎外」の資本制社会を批判するスタンスが強かったと思う。それとも革共同系だけで、ブント系は違うのかな?










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過程, 2005/10/01 7:52 PM

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