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そもそもは・・2

当時は日記をつけていたのでそれを見ればいろいろ思い出すのだろうけど、いまは入院中の身だし、自宅に戻ってもたぶん押入の奥だ。この足の調子では引っ張りだすこともできまい。
ともかく「いったい自分はなにやってんだ」という自己嫌悪の情にも苛まれて、グチャグチャだったことは確かだ。貧乏も屈辱も挫折も知らず、順調に人生を送ってきたことが犯罪的だとすら、そのときは思えてきた。
推薦入学で入った学生は、その学業成績を出身母校に送られる。実績を勘案して、その後も推薦指定校にするかどうかの参考にするわけだ。私はそういう期待と責任を背負っている立場にあった。
で、「自分の人生を傷つけなければならない」「期待を裏切るサイテーなやつにならなければならない!」「成績優良・健全な青少年であってはいけないんだぁー!」という倒錯した観念によって、私は留年を決意した。いっそのこと大学自体をやめてしまえばカッコよかったろうが、そこまでの度胸はなかった。・・たかが留年でブルブルしてたという臆病者・・・情けない。
しかもあとで挽回が容易になるように、留年に最低限必要な単位のみ落とすという姑息な決意なのであった。・・うう、サイテーだ。
しかし、後年ふたたび留年して、結局大学生活を6年間おくることになるわけだが、これは「想定外」である(自爆)

すこし、サヨクとは関係ない個人史になった。まあいいか。
亀井勝一郎だ、ゲーテだ、実存哲学だ、という18歳の青年らしい、それなりの疾風怒濤の一年を経めぐった翌年春のこと。
自己流はいかん。やっぱり学べる場があるのであれば、人との交流のなかでマルクス主義を鍛えねば、という外向きポジティヴな姿勢に転換して、私は「学生会館」内のとある社会科学サークルの扉をたたいた。
当時、現代書館ForBeginners「全学連」程度の左翼知識はあった私は、ともかく民青系ではない場所を選びたかったのだ。
それは私を含めて5、6人の、非常にこぢんまりとしたサークルだった。
いやぁーーー、で、そのサークルってのが・・・

ついでに言うと交友範囲の極端に狭かった一年のあいだ、同じ学部で唯一親しくなった奴(F君としておく)も、学生会館のべつの文学系サークルに入った。F君も同じ留年組だった。まあやっぱり、屈折した人間のほうが味が出るようだ。F君からはいまも年賀状をもらっている。

サークルで最初に読んだ古典は「賃金・価格・利潤」だったかな。
マルクス経済学の初歩を、そこではじめて学んだ。資本論の価値論の部分なども一部読んだりして、頭をシワクチャにした。
革命論というより、わりとアカデミックな経済学方面に軸足を置いた進め方だったと思う。得体の知れない(笑)先輩の指向だったのだろうな。
学生会館の壁面にベタベタと貼っている某党派のステッカーを目にしながら、なぁんにも気づかなかった鈍感な私であった^^;;)

「反核集会へ行こう!」
との先輩の誘いに、素直に私は応じて代々木公園へ行った。
ときは1982年の春。


→その3へ


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at 16:52, 主義者Y, 元サヨのつぶやき

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comment
アッテンボロー, 2005/07/23 2:59 PM

 日記って残してあると資料にもなりますよね。僕の場合活動家になる時点で権力のガサ対策として全部燃やしてしまったんです。今から思うともったいない事したなぁ。当時の彼女からの手紙も一緒に燃やしてしまったし。さすがに組合活動始めると組合の活動日誌なんかは付けるようになりましたけどね。










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