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そもそもは・・

同じ高三クラスの親しかった友人が自宅に遊びに来たのが、そもそものはじまり。
「資本主義vs社会主義」という、素朴にしてストレートな論争で私は負けたのだった。
議論の大部分は忘れてしまったが、「ガラスを生産・販売する資本家は、ガラスが壊れてその結果購買需要が増すほうが好都合だし、それを促進するのだ」などという、ある意味エコロジカルな視点に立った資本制生産の理不尽さを指摘した批判に、自分が言い返せなかったことを憶えている。

むろん高校生だから『資本制生産』というような大層な概念は使わない。いや、ホントにそんなギロンをしたのだろうか・・記憶の再構成はアテにならない・・『証言』とはなんといい加減なものよ(笑)
ソ連や中国の「自由のなさ」も批判したと思うが、日本共産党の「自主独立」路線で切り返されたのかもしれん。
政治的な変革よりも物質的下部構造(だから高校生はそんな言葉使わないって)の規定性のほうが重たくって大変で、エライこっちゃという直感が働いたのか。
む・・いま考えると、既にトロツキストとしての芽はあったのか?(そんなコトないって!)

私は素直に負けを認め、民青同盟員だった友人の軍門に降り、「科学的社会主義」を学ぶ紅顔の新同盟員となった。いさぎよいだろー(^^)
民青の高校生班で「空想から科学へ」をお勉強し、いっぱしの社会主義思想を身につけたつもりの生意気な左翼少年がひとり誕生したわけだ。

・・そういえば「政治・経済」のテストで「生産手段の私的独占は許さん!」などと意味のないことを書いて、バツもらってたよなあ。

それで、受験に呻吟する級友を後目にポーンと推薦枠に乗っかっちゃって、大学入学を決めてしまった苦労知らずな私であったわけで。
そう、ほぼ全員が進学するような高校だったから、「なぜ大学へ行くのか」という、ありがちな青い議論はあっても「大学に行かない」という選択肢は思いつかなかった。
プロレタリアートを知らぬボンボンな社会主義者。

で、大学というところは社会科学系の学生だったらマルクスぐらい読むのが当たり前だと思っていた。・・・そうじゃなかった。
80年代前半くらいは「ネアカ」「ネクラ」なんて言葉が流行っていて、生真面目な議論をすること自体が忌避されるような空気があった。重厚長大なキャラクターだった私は必然的にブクブク沈んでいったわけだ。
あのころは一年中、胃が痛かった。軽佻浮薄(笑)に思えた同じ学部の連中に絶えず嫌悪の感情を抱いていたせいで、それが胃にきたのだろう。そんなときに「二十歳の原点」なんか読んだものだから、余計にズブズブと・・・

民青は、その「歌って踊って」の大衆愚弄文化路線にどうしても馴染めず、大学に入ってからは連絡をとらなくなっていた。
慣れないフォークダンスを、輪になってヨタヨタ踊る・・・真ん中のアコーディオンのおねいちゃんから「そこ!真面目に踊って!」などとしかられる・・・なにやってたんだ、じぶん・・・あ、恥ずかしい。
離れた理由は理論的なもんじゃなくて、「わざとらしい」若者らしさを装っているところが、感覚的にどうしても嫌だったのだ。
「二十歳の原点」→「青春の墓標」→「人知れず微笑まん」(ありがちな読書コース・・苦笑)と読み進んで、こんな真面目な全共闘・新左翼学生を「ニセ左翼暴力集団」などと一括りにして罵倒する日本共産党はなんという連中か!「ボクら健全な青少年」民青に比べてなんと痛苦な青春の輝きか!という憤りが、私の反スタ左翼としての原点だったわけで。

憤怒の胃痛をかかえた私は、斃れた死者の視線から、今度は卑小な自己への攻撃を開始したのであった。

はぁー


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comment
kamakazu, 2005/07/21 1:30 AM

うう。たまらんです。自分の過去話は、けっこう、美化→歪曲してるんで、書きなおそうかな。

自分の昔記事でも書いたんですが、どうも「翼をください」とか「遠い世界へ」は歌いたくないんです。その歌が、いい歌なのは知っているんですけどね。てめぇらが好き好んで歌う歌は、否定してやる!という強い圧力が働くのでしょう(笑)好んで歌うのは、「翼なき野郎ども」(泉谷しげる)なんかでありました。一番賛同して歌っていたのは、「ああ青春」(トランザム,吉田拓郎),「路地裏の少年」(浜田省吾)でありました。

俺、健全だったら、絶対、インターの活動家だったのに(笑)

草加耕助, 2005/07/21 3:55 AM

>慣れないフォークダンスを、輪になってヨタヨタ踊る・・・真ん中のアコーディオンのおねいちゃんから「そこ!真面目に踊って!」などとしかられる・・・なにやってたんだ、じぶん・・・

わははー、主義者Yさんって、あのフォークダンスの輪の中にいたんだぁ(^◇^)
私は民青の主催する小学生キャンプに「引率係」として駆り出されたくらいが「苦い思い出」かなあ。ああ、そう言えば総選挙で島津製作所へのビラまき応援にも行ったなあ。あそこは共産党系の統一労組懇の一大拠点なんですよ。島津労組だけで数千人規模のデモ隊が共産党の集会に出るからね。ノーベル賞の田中さんともすれ違っていたかも。

民青と絶縁して社学同に移籍してからのことでしたが、昼休みに大学の中庭で同じ社学同メンバーとキャッチボールをしていました。すると通りかかった民青の女子が、いきなり私の思い切り投げたボールを横から素手(しかも片手)でキャッチしちまった!
その子はフフンと鼻で笑って「こんなことじゃ、機動隊は倒せっこないわね」と言い残してボールを転がすと去っていったのだった。
くそー!石とボールは違うんだよ!拳くらいの大きさなら、そんなに思い切り投げなくても充分に威力はあるんだよ!

setuko, 2005/07/21 8:07 AM

懐かしい思いで、拝見しました。ビラ張りに行った先で、断られると、資本家の手先め?等と嘯いていました。私の記憶は、かなり曖昧で、20歳の原点、高野悦子さん、イコ−ル、岩波ホ−ルの、支配人と覚えていました。恥ずかしい。あれから随分時がたちます。主人が、経営者になり、その下で、働くようになり、亡き主人は、いつも苦悩していました。労働者から搾取したくない、当然そこに矛盾が、生じてきます。利益を皆に還元すれば、利益はなくなり、経営も生きずまるのが、当たり前で、最後には、その苦悩を共にすることなく、かなり冷ややかな目で、見ていました。今は、彼の苦悩が、分かるようになり、でも亡くなってしまった人をいつまでも、思っていても忘れてあげるのも供養のひとつだと、思えるようになりました。もう一度生きなおしてみようと考えるようになりました。

主義者Y, 2005/07/21 7:54 PM

>kamakazuさん
ほんとうはもっと格好悪いこといっぱいあります(^^)
>てめぇらが好き好んで歌う歌は、否定してやる!
よくわかるんですがねえ(笑)やっぱりそこまで行くとセクト主義かな・・↓のsetukoさんの亡くなったご主人のように悩む人もいますから。いろんな人がいるんですよ。

>草加さん
大島渚監督「日本の夜と霧」をご覧になったことがあるでしょうか?あの中に六全協後の路線転換でフォークダンスに打ち興じる男女学生のシーンがあるんですが、おおっ!連綿と続く伝統のルーツがここに・・と思いましたよ(^^;)
素手でボールをキャッチした女子学生・・民青もいろんな人材がいたんですよね。やっぱゲバルトでも最強だったのかな(汗)

>setukoさん
すみませんm(_ _)m 正直に言って、当時日本共産党に対する感情はそういうものでした。いまでもいくつか注文したいことはあるのですけど、それは別の場所にしましょう。
高野悦子・・勘違いする人いましたよ(^^) 大学の講義だったかシンポだったか忘れましたが、岩波ホール支配人の講演のようすを上映していたときに、「二十歳の原点」を持ってきてた奴がいました^^;)

アッテンボロー, 2005/07/21 10:37 PM

 僕も似た経験をしたことがあります。高三の時に原発問題を巡って徹夜で論争して負けました。その相手が全学連の活動家になっていたから、こいつには理屈ではかなわんと思って大人しくオルグを受けましたよ。

友人とかを論争しなかった?


主義者Y, 2005/07/22 8:28 PM

>アッテンボローさん
そうなんですよ。高校生ぐらいなら素直に負けを認められるんですね。ヘタに年くってこだわるものを蓄積すると、容易に方向転換ができなくなるのかもしれない。
自戒せねば。










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