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彼らの道徳と我々の道徳

またまた「旗旗」へのコメントの再録です。
このブログでもとりあげている左翼党派の規約にからんで、草加さんが三里塚闘争への思い出を綴っておられました。
私の行っていた大学は「革マル派」の牙城であり、他の新左翼党派はほぼ公然活動が不能で、かろうじて民青が一部の学部に拠点を守っているにすぎませんでした。新左翼運動に詳しい人には常識ですが、革マル派は一般的に実力闘争には消極的で「小ブル急進主義」とか「ブランキスト」などと他党派の行動を見下しておりました。三里塚闘争にも関わっておりません。
当時の私は知らず革マル系の社会科学サークルに所属して、新左翼の世界やトロツキズムをはじめて知るわけですが、革マル派以外の新左翼党派がほぼ結集する三里塚闘争に加わるような人脈に接することができませんでした。また私自身、革命運動の「軍事」を否定する考えがあり、「階級闘争」での位置づけができなかったので、三里塚に積極的に関わるつもりがありませんでした。
三里塚に心の眼を向けるようになったのは、マルクス主義に懸隔をおくようになったもっとあとのことです。
自分の意見は現場の風景を知らず、血を流して苦しんだ人々と思いを共有できない人間の傲慢なコトバなのかもしれません。ただ、党内民主主義や「革命的暴力」の可否は、当時の私にとって切実な問題意識でした。
冷ややかなな理論的文体をとってますが、たたかう人間の熱と労苦を無駄に殺したくないという、私の稚拙ではあるけれど追求した思いを綴ったつもりです。
(つもりになってんじゃないわよー!・・と、ひとりツッコミ)

*タイトルの「彼らの道徳と我々の道徳」はトロツキーの論文の表題。息子のレオン・セドフが不可解な死(おそらくスターリン派による謀殺)を遂げたあとに書いたもの。
こんにちは 私は典型的な「主義者系趣味者」かもしれません(笑)
今回のエントリーの後半を読んで、はじめて3・8分裂前後の「戦旗」の立ち位置がみえたような気がします。なにせ「亡命者」元メンバーの回想のみで、このへんの基本認識をしておりましたから(苦笑)
三里塚の闘争圏外にいた者が意見するなど、おこがましいとは重々承知のつもりですが、
>中核の手のひらで踊らされるのではなく、まさしくその中核派の上をいく政治を打たなくてはなりません
というある意味、玄人的組織戦術の発想が、当時の私にはひっかかるところでした。革共同世界でのトロツキズムの「批判的摂取」が黒田寛一によってなされたことは周知のことですが、その核心はソ連の体制論と独自の組織闘争論である、というのが私の理解でした。特に後者についてはボリシェヴィキ党内における左翼反対派の敗北という反省をふまえてのものだったと思います。その歴史的教訓の総括が、荒っぽい言い方をすればマキャベリズム的な組織戦術の導入だったと。スターリン派に負けぬようにするためにはスターリン派の戦術に学ばなければ、というわけです。これは革共同の第三次分裂を経ても、中核・革マル両派に引き継がれた遺伝子だったのではないでしょうか。もっとも苛烈な内ゲバが両派間のものであったこと、革マル派がしばしば「謀略論」の陥穽に陥ることも、このことと関わりがあるように思えてなりません。
それは「戦争」をする際には有効な論理でしょう。そのために最適な組織形態は、当然ながら「軍隊」です。「老練な策士に対する畏怖」の感覚は私もわかります。ただそれは語弊のある例え方をすると、ヒトラーがスターリンの手腕を畏怖するようなものに近い(ああっ、ついに草加さんをヒトラー呼ばわりっ・・・m(_ _)m
私はやっぱり「武力革命」というものを中心命題にしていなかったので、その大前提が違っていたのかもしれません。ノンセクトあるいはアナキストのような「自由人」であっても、基本が戦争的状勢認識であったなら、やはり他者に対しては高圧的な姿勢になろうと思います。
で、組織論をめぐる私の批判意識の焦点は「民主主義的中央集権制」なのですが、この組織原理は各級指導部の選挙制と「自由な討論」をのぞけば軍隊の構成原理に近い。意思力と行動力の集中、スピーディーな行動の展開という面では非常に効率的なわけです。これはおっしゃるとおり、指導部に対する組織成員の信頼性が強い場合には絶大な威力を発揮します。じっさいの話、運動が前進している局面では誰も規約など意識しません。しかし逆に言えば、指導部の的確な状勢認識なり行動方針に翳りが見え、組織内に不信が胚胎するような状況になると、一転して異論派排除の装置として作用する危険があります。いみじくも「党中央性善説」という表現をされてますが、よほど党指導部の側にフトコロ深い姿勢がなければそうなります。文言上の規定も重要ですが、組織の「作風」との両輪で党内民主主義は大きく左右されてくるのではないでしょうか。分派容認や行動の留保の規定について、私はむしろ党勢の後退局面に際してこそ党の統一を守る方向に作用するのでは、と思っています。
・・・すみません。どんどん三里塚の現場から離れて理論面に走りました。すこし話を戻しますと、分裂を回避するための中核派への妥協といえども限界は最初から見えていたでしょう。「青臭くまっすぐに」中核派に対峙していたインターやプロ青との架橋は、もはや不可能でしたでしょうから(重ねて申し訳ありません。三里塚の詳細な状況に不案内な者の意見です。間違っていたらご指摘を)。私は「青臭くまっすぐに」貫く以外に、最終的な勝利の道はないのではないかと思います。インターが中核派にテロられて、それに対してインターが軍事的な反撃に出なかったことを私は高く評価しています。戦術的なゲヴァルトではなく、道義的な高位に立って対する青臭さのほうが、無尽蔵な大衆の同意という「外部」へつながっていると思うからです。
また「分派」について補足的に積極面を捉えていくと、まさに草加さんの悩んだ「意見書」提出のような場面において有効だろうと思うのです。党中央も迷うような難しい判断で、その対案が同盟員のなかに広範に潜在していたということは、日常的に横の連携のなかで明確な「言葉」のかたちで接する機会をもっていたならば、もっと速やかに方向転換ができたのではないでしょうか。自分自身の漠然とした違和感が他者の言葉のうちにはっきりした輪郭を発見して、次のステップに進めるということは経験的にあることでしょう。もっとも先の事例については、一日二日を争う急迫な事態には間に合わなかったろうし、その結論の方向に必ずしも同意しないのですが。

・・・ここまで書いたらアッテンボローさんのコメントが。三里塚闘争にじっさいに関わられた方をさしおいて、こんなにお喋りするとは(大汗)
現場の空気を知り得なかった者の無責任な思弁です。ご容赦を。

ただ、新左翼の仲間うちの世界だけで終わらせる話ではないと思います。
終わってはいません。


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