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私の思想遍歴

ブログ「旗旗」のエントリー「アッテンボローさんのサイトを読んで」に、自分の思想遍歴についてのコメントを寄せました。
まあ、他人様のところで書いておきながら自分のところで沈黙しているのも何なので、こちらにも掲載しておきます。
なんとなく自分の場所で語るのも躊躇していたのですが、考えてみるとこちらで読む人より「旗旗」で目にする人のほうが圧倒的に多くて、たいして関係ないんですよね(笑)

ごくラフなスケッチなんで、細部に関してはのちほどまた、つらつら語っていきましょうか。
そうですねえ。もとはといえば高校生のときに同じクラスのやつから、民青にオルグされたのがすべてのはじまりで。
大学で入った社会科学のサークルが革マル系だったことから、反帝反スタ・トロツキズムの影響をうけました。そのまえに高野悦子「二十歳の原点」なんか読んで、全共闘・新左翼の世界にぐっと心情的に寄せられるところもありましたけど。
でも内ゲバの反省をしないような党派は論外だし、ゲリラ戦のような戦術が市民社会の安定した日本の状況にそぐうものとも思わなかったし、三里塚闘争がどうして日本階級闘争の最前線なのかも納得できませんでした。そうするとほとんど、どこの新左翼党派にも属せないわけですよ。・・・あれはつらかった。ほんとうに、つらかった。
サークルは2年でやめて、そのあとはフラフラとあちこちの集会に足を運ぶようになりました。べつにシンパですらなかったのに、革マル派の主張と対立するような新左翼系の集会には行きづらかったのですね。彼らに掣肘されたわけではなく、気がねの問題です。
私を最初にオルグしたやつは民青やめて、親ソ連系の党派に行きました(笑)。つきあいで何度かそちらの集会をのぞいていたことが、反帝「反スタ」からバランスよく身を引き離した効果があったのかもしれません。そいつは今では民主党の市議会議員やってますけど(節操ねえぞ、おめー!)。でも、彼の手引きで旧ソ連のナホトカに連れていってもらったのが、自分が世界を歩くようになったきっかけだから、やっぱり感謝しなければいかんかな(笑)
マルクス主義をなぜ放棄したのか、なんて個人史を語るともっと長くなってしまうのでここでは割愛しますが、自分を「左翼」と位置づけていた最後の時期に属したのが、村岡到氏の主催したグループでした。中核から第四インターに移籍し、管制塔占拠闘争のあとインターも脱退して独自のグループを創生していた人です。広い意味での革共同の世界になじんでいた私にとっては、村岡氏の主張に共感を得やすかったのですね。氏はいまでも活発に論考を発表されていて、多くを学ばせてもらっています。

こまかい青春のつづら道をすっとばして、自分の思想的遍歴をかけ足でめぐると、こんなところでしょうか。



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at 13:04, 主義者Y, 元サヨのつぶやき

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アッテンボロー, 2005/07/03 5:38 PM

 今日は。「旗旗」でのコメント拝見しました。あちらよりこちらでコメントさせていただく方が良いかと思い伺いました。
 村岡至さんのグループについての質問なのですが、元第四インターの方なのに、革共同とはかなり違うことを言っておられたのでしょうか。インターも正式には日本革命的共産主義者同盟ですから。世間が狭かったので単純に好奇心で聞いています。

主義者Y, 2005/07/03 8:05 PM

アッテンボローさん
革共同=中核派と理解してお答えします(笑・・・しかし、こういう表現をきくと、ああ中核のひとなんだなあと実感します)

まずは「反帝・反スタ」のとらえかたですね。私のコメントで親ソ連派の知人がいた、ということを書きましたが、村岡さんにそのことを話したときに「あ、それはいいことだね」と言われて驚いたことを憶えています。当時の私の感覚のなかでは、トロツキスト=既存社会主義国およびその支持政党に対してもっとも厳しい態度をとるコミュニスト、という図式があったからです。
それが「同じ」トロツキズムを奉じる中核・革マルよりも、スターリニズムの残滓(というかそのもの)をいまなお濃くひきずっているソ連派セクトのほうを評価しているとは!という驚愕でした。
これは第四インターのトロツキズムと「反帝・反スタ」トロツキズムの差異とも言えます。たしかにスターリン主義体制に対する第二の補足的政治革命を唱えるということは共通しているわけですが、官僚制的桎梏をまとっているとはいえ社会主義への過渡期社会を成している既存社会主義体制は、帝国主義打倒へむけての一定の物質的基礎を提供している、という積極的な捉え方をしていました。この後者に力点を置く姿勢から、ソ連派の党派の存在意義を認めていたと思います。また、黒田寛一流の党派闘争論に嫌悪を示す立場もありました。
さらに反スターリニズムの見地からすれば、あるいは新左翼セクト一般についても言えますが、日本共産党への憎悪ともいっていいほどの敵対意識があったと思います。これについても内在的批判をつうじた対話の水路をひらく、という実践に新鮮な感動をおぼえました。打倒ではなく統一戦線の共同主体として日本共産党を見据えるという発想が、トロツキズムを保持しながら可能なのだという発見です。このことは、「反ファシズム統一戦線」の歴史的意義を見損なっていたトロツキー理論の批判的検証とも連関していたと考えています。

あ・・・字数制限のあるコメント欄では書ききれないかも(笑)。これもエントリー化しましょうかねえ・・・

アッテンボロー, 2005/07/03 9:33 PM

 早速のご教示感謝します。僕の学んだ範囲では革共同の第一次・第二次分裂がトロツキズムをどの様に受け止めるかによる立場の違いから生じた物と聞いています。全面肯定する人々が第四インターとなり、批判的に摂取するとした人々が全国委員会を結成した筈です。同時にそれがスターリン主義への対応にも現れているのだと思います。単純化すれば、トロツキーはスターリンとの対決姿勢が曖昧だったから断固打倒対象とするのが全国委員会側だったと思うのです。

主義者Y, 2005/07/04 7:23 PM

一次(太田龍)はともかく二次分裂については私も同じ理解でした。そのへんはきっちりと第四インターに在籍していた人なら、ムキになって解説してくれるでしょうけど、私は適任ではありません。ただ自分について言うなら、「批判的摂取」というものを内実を自分で精査せずに丸ごと飲み込んでいたと思います。
黒田理論では、トロツキーら左翼反対派がボリシェヴィキの党内闘争に敗れ去ったという歴史的経緯から、シビアな党派闘争の戦術を打ち出した、と記憶しています。
三次分裂では周知のとおり中核・革マルの両派に分かれるわけですが、この組織闘争論は中核派も引き継いでいったのではないでしょうか。










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