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ネット言論の有効性

凍った路面で転倒骨折してから、はや4ヶ月。
2度の手術と3度の入院で、すっかり娑婆世界と疎遠になってしまった。退院中の自宅療養でも外出はままならなかったから、この間の他人との接触はごく限られたものだ。いきおいパソコンに向かう時間が増え、筆無精の私でも細々とエントリーを書いてこられた。また、いろんなサイトやブログをつぶさに閲覧することもできた。
それでつくづく思うのだが、日中仕事をして残業をして、帰ってからは同居の家族にも気を遣わねばならぬ人々にとって、ブログを書き続けることは相当に至難の業になるだろう。おおざっぱな印象あるいは推測だが、ネット世界を回遊・収集した情報を基に、毎日のように書き連ねることができるのは、やはり20〜せいぜい30代までの若い世代ではないだろうか。
自由に使える時間がたくさんあるのは悪いことではない。たまさか自分自身も似たような環境に身を置くことができたので、今はその「自由」を活用している。ただ知らず知らずのうちに、政治や社会をめぐるネット上の言説が、現実世界の縮図であるかのような錯覚に陥る危険があるようだ。思わず四角いモニター上の言葉に一喜一憂してしまうのだが、パソコンを閉じるとそこには同じ病室の人々がいて、忙しく立ち働く看護師さんたちがいる。
「パソコンなんて全然わからないねえ」と看護師さんや同室の人は言うのだが、そういう人が政治的意見を持たないわけではないし、沈黙しているわけでもない。先日お見舞いに来てくれた人も、インターネットはやっているけれど「ブログって何?」という具合だ。「2ちゃんねる」なんて知らないほうが普通だろう。一足先に退院したヤっちゃん的風貌のおじさんは毎朝私にスポーツ新聞を読ませてくれたが、最近の記事を見て「日本は中国にナメられてる」と言いつつ、戦時中の日本軍による残虐行為のことは語っていた。
アスキーアートや顔文字を使いこなす手練れの人間は、こうした人々をナメてはいないか。

前のエントリーでも触れたが、50年代の国会決議を検索エンジンで引っ張り出してきて「じつはA級戦犯は圧倒的な国民の意思によって名誉回復されていたのだ。こういう事実を自分は知っているが、あんたたちは知らないだろう」と、その時代に生まれてもいない者が、年長世代に対して高説を垂れるのだとしたら、その姿は滑稽としか言いようがない。「決議」には社会党まで賛同しているから、戦犯をもう釈放してもいいのではないか、という気分が多数派だったのは確かだろう(労農党や共産党は反対)。少なからず杜撰な報復裁判によって服役を余儀なくされた戦友、夫、父たちへの思いはあっただろう。決議(1955年衆院本会議)の趣旨説明中にある「釈放嘆願書に署名したる者は三千余万人に及」んだという状況は、広範な国民の意思が存したとは言える。しかし、在外抑留戦犯の送還に連動する受刑者の釈放=名誉回復にスリ替えて、その上であたかも戦争指導者も含めて国民から免責されたというのは意図的な読み替えだ。予科練の生き残りが、学徒兵の生還者が、奴隷の言論を強いられた知識人が、東條英機を許しただろうか。その後の60年安保反対闘争で国会を包囲した人々が、A級戦犯だった岸首相の過去を忘れていただろうか。身近に手を伸ばせば届く場所にある肉声の「証言」にも触れず、「文書」の恣意的な読み込みで形成された歴史観、つまみ食いによる「点描」知識は、そのような流れを捉えることができない。ネットは、その「つまみ食い」をするには非常に便利な道具なのだ。

あたりまえの話だけど、ネット言論の力を過信してはいけない。キーボードの力に幻想を抱いてはいけないし、受け取る情報の精度にも距離感をもっておかねばならない。微細な知識の収集には便利ではあるけれど、それに振り回されてはいけない。ネットで「世界観」を構築しようなどとは横着もいいところだ。所詮は効率のいい「耳学問」に過ぎない。親しむべき主体は、手間暇かけて練り上げられた活字なり映像なりの「著作」であり「作品」だ。本腰を入れて戦争責任について語るならば、「高橋哲哉って誰?」「加藤典洋って誰?」という程度の教養ではお話にならない。せめて「秦郁彦は・・」「西尾幹二は・・」というような語り方はできないのか。
本来発するべき言葉は、相手の目線にむかって放つ自身の肉声である。対面する相手の知性に深く刻印されるのは、匿名の片言の継ぎ合わせではなく、生きた人格から発せられた言葉だ。
現前の他者との対話を避ける脆弱な精神は、知的退廃をもたらす。


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at 11:38, 主義者Y, インターネット

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setuko, 2005/05/31 11:40 PM

本当に何事も継続することの大変さ、最近分かりました。私は、弱虫なもので、頭痛が続くだけで、読書もやめてパソコンを見るだけで、嫌になったものです。好きなこともやはり継続は力なり、この言葉身にしみます。家族がいると楽しみも増えますが、やはり好きなこともできない不自由もあります。家族に内緒で、また好きな本を読んでいます。今日は、彼の誕生日を家族でお祝いしました。










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