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マルクス主義について

草加さんの「旗旗」エントリー「『近代合理主義批判』に関して」に、以下のようなコメントを寄せました。
私のほうこそ、懐古趣味なお気楽コメントを書き連ねてしまいましたが、それに対する真摯なエントリーを返していただき本当にかたじけなく存じます^^)
>この「人民抑圧にならない保障はあんのか?」という問いに対して「無い」ときっぱり言いきったのが気に入ったからです。
それは素晴らしい!私も当時そういうことを言われていたら、きっと心が動いただろうと思います。自己批判の回路を残しておく、そういった「奥ゆかしさ」を弁えている党派を新左翼のなかに求めることがどれだけ難しかったか・・・焦慮にも似た想いで自分の身を置くべき「前衛党」を探し、ついに辿りつかなかった私の過去に比べると羨ましさも感じます。
スターリン主義を批判しながら自らもその似姿になっていく、いったいそれは何故だろう?というのが私にとってものっぴきならぬ疑問でした。たかだか政治党派にすぎない集団が、全き人間の幸福を約束するという傲慢さを、当初から嗅ぎ取っていたのかもしれません。出発点から引きずっていたその思いが曲折を経て、トロツキズムどころかマルクス主義の放棄に至る私自身の核にあったと思います。
・・・なんやら文学的な飛躍ですが(笑)個人史の詳細はまた別のところで展開しましょう。
毛沢東の実践あるいは中国革命の経験は、たしかに西欧的合理主義とは異なる地平から生成したものだったと言えるでしょう。グラムシはロシア革命を「資本論に反する革命」と評しましたが、中国革命はそれどころの話ではない(笑)私は、あれをマルクス主義の言葉で説明するのはそもそも無理ではないかと考えています。あるいはむしろ中国革命のもっとも良質な部分を見落としてしまうのではないかと。「大長征」「抗日戦争」のなかの紅軍兵士の姿、「撫順戦犯管理所」での人間革命・・・いくつも心に穿たれる光の風景は、近代合理主義「理論」の内側にはないものでした。それだけに「反右派闘争」から「大躍進」「文化大革命」に至る負の歴史が、反転して重くのしかかっています。その意味で中国の経験は、自分では未整理の課題を多くのこしています。
うーん・・・なんだかイマイチ「近代合理主義批判」と切り結ばないなぁ(汗)
とりとめもない駄文で申し訳ありません。(もうそろそろ寝たいので・・)でもこのエントリー、いろんなことが書きたくなってしまいます。
左翼の思想や歴史について知らない人には、何がナンやら分からないかもしれません。草加さんの括りで言う「反スタ左翼」の人間は、ソ連や中国のような既成社会主義国の否定的現象から目を逸らすことなく、またそのことと根本的に対決しようとしない旧来の共産党に飽き足らず、独自の社会主義運動を目指したのでした。
私もまた、そういう潮流に属していたわけですが、それゆえ「お前はソ連の手先か!」という旧左翼と一緒くたにされる罵倒には不愉快な思いをしていました。まあ、「社会主義」を名のる実物の国があるだけに、無理もない話なのですが。いくら「理論」をふりかざして口角泡を飛ばしても、信用の問題なのですね。「『社会主義』を掲げていながら、あのような抑圧的な体制にならないという保証はあるのか?」という問いがここに発するわけです。
それでコメント中の引用文
>この「人民抑圧にならない保障はあんのか?」という問いに対して「無い」ときっぱり言いきったのが気に入ったからです。
に感嘆したのは、当時の新左翼セクトといえば、たいてい押しなべて自らの「理論」に対する自信に満ち溢れていたからです。それが「無い」と言い切るいさぎよさ(笑)
それではいったい、この自信はどこからくるのか。

ここで「マルクス主義入門」を展開するわけにもいきませんので、私がエッセンスだと勝手に考えている部分だけで語ります。
人類の歴史が変化していく根本の動因が「階級闘争」であること。これを認めるか否かで、マルクス主義者であるかどうかが分かれていきます。現代でいえば、利潤を求めて投資する資本家と賃金をもらって働く労働者の関係がそれにあたります。お互いを切り離しては存在しえないが、絶えず利害等の対立をも孕んでいる「矛盾」した関係の「階級」間の闘争が、最深部にあって人類の歴史を揺り動かしているのだ、という考え方です。マルクスはその主著「資本論」のなかで、ヨーロッパにおける奴隷制〜封建制〜資本制の生産様式の変遷をなぞり、いわば「歴史の法則」ともいうべき人類史のみちすじを示したのでした。(マルクス自身が『歴史の法則』という言葉を使ったかどうか、記憶が定かではありませんが)
マルクス主義者の「自信」は、この「歴史の法則」にあります。

そして実際に第一次世界大戦の末期、ロシアで社会主義革命がおき、資本主義ではない新しい社会を目指す体制ができました。レーニンの指導する共産主義運動にマルクス主義の「本流」を認めた人々が、世界じゅうで「共産党」を結成します。まさに「歴史の法則」が回転して、地球上の一角に資本制社会にとってかわる社会が現出したように見えたのでした。緻密な歴史理論に裏付けられ、歴史の「実証」を得た革命は、多くの知識人を魅了していきます。社会主義革命は一面、知識人の主導する革命でもありました。

「法則」というのなら、ほったらかしにしていても自然に変化するのだから、なにもあくせく頑張ることはないじゃないか、と思われるかもしれません。ですが、ここでいう「歴史の法則」は自然科学的な法則ではなく、人間の自発的な意志、行動を包み込んだ「法則」です。階級闘争が歴史の法則だと認めた人間は、階級闘争を頑張るのですね。歴史の法則にのっとっていると自認する人間は、自らの行為の正当性を「歴史が証明する」と語ります。

私はここに、マルクス主義者の「自信」の究極の根源を見ます。
そして反転する「傲慢さ」の根源をも。
知的エリートが人民の幸福を招来し、その過程で犯す個々の「小さな」誤りは、大きな歴史の審判の前では不問に付されるという「傲慢さ」を。

私がスターリン主義と呼ぶ人間抑圧の思想も、ここに淵源があるのではないかと思っています。
草加さんの「近代合理主義批判」とは違う視座です。レーニン主義どころかマルクス主義そのものへの批判に至る(笑)・・って笑っていられないほどの痛みを当時は覚えていたのですが。
もっとも一足飛びにマルクス主義批判に至ったわけではなく、トロツキズムへの接近、日本(新旧)左翼運動の負の側面、ロシア革命史への批判的見直しを経てボリシェヴィキ(レーニン主義)の限界をとらえ、先の「歴史の法則」への違和にたどりつきました。
そこで、自分の意識では「マルクス主義者」でなくなりました。

ソ連邦の崩壊はそのあとに来ます。
底が抜けたような感覚でした。

トロツキストであったとしても、マルクス主義者ではなくなったと、自分では思い込んでいても、あのときの喪失感は言いようが無い。
知らず知らず、社会主義の運動と歴史への想いは、自分で意識する以上に奥深いところに沈静していたのだと思います。

・・・おっと、たいした内容もないのに普段のエントリーの三倍くらいの長さになってしまいました。丁寧に書こうと思ったら、いくらでも書けてしまうなあ(笑)
という具合に、私の立ち位置を少しばかり開陳したわけですが、「マルクス主義」の次元で考えたこともまだまだいっぱいあるので、それは稿を改めて書いてみることにしましょう。


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at 11:59, 主義者Y, 元サヨのつぶやき

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setuko, 2005/05/12 9:16 PM

中立的な立場にあるものが、口を出すのは、僭越だと思いますが、一言言わせていただければ、崩壊した旧ソ連のことについて、確かに革命のやり方の違いは、認めますが、一流のダンサ-や一流のスポ−ツ選手を、生んだ歴史には、万人に開かれた道があったことは、認めなければ、と考えます。ただ悲しいかなその国で、国費で育成したダンサ−や選手が外国へ亡命したこともあります。そこに私は共産主義国家に疑問が沸いた若き日随分悩みました。やはり今冷静に考えるとそんな試行錯誤の時も必要であったと思います。今後も思考錯誤の中生きていくのでしょう。

主義者Y, 2005/05/13 10:49 PM

setukoさん
いつもコメントありがとうございます。
ソ連論については別稿で書いてみるつもりです。
ひとことだけ言わせていただくと、永遠の試行錯誤はいけませんよ。小さいことのひとつひとつを「明らか」にしていくことで、人は自分の歴史を刻んでいくのだと思います。ときには他者からの論難にも身を晒さなければいけません。迷うだけでは自己の成長はないし、ひとに何かを与えることもできません。殊勝な構えをみせることで、他者の批判をかわす甘えが見えると言ったら言いすぎでしょうか。若輩者の生意気な言、お許しください。

setuko, 2005/05/14 5:22 PM

貴方のおしゃる通り、永遠の思考錯誤の中生きているとしたら、やはり甘えがあるのも、認めなければいけないと、考えます。でも正直な話、私は、まだこれが貴方の進む道を見つけられず、右往左往しております。他人に何かを与えようとも思っていません。自分自身が不確かな存在であることを踏まえながら、他者の批判は喜んで受ける器は、持っているつもりです。でも正直な話これが正しいと、言える生き方が見つかりません。この世の中不条理なことが、多く自分も不条理の中生きていくのかな?これが本音かな?
貴方のことを生意気な言葉とは受け止めておりません。これからも、色々ご意見伺わせてください。

katsu, 2007/03/16 6:00 AM

こんにちは。私は1975-80にかけて大学に通った(?)ものです。私は、ソ連の崩壊についてはやっと再びスタートラインに戻ったと言うふうな安堵感を感じました。ここで全部は語れませんけど。

主義者Y, 2007/03/17 8:01 AM

katsuさんのブログを拝見しました。
私は1981-86に通った世代ですので、入れ替わり(?)ですね。(よく数えると両方とも『6年』ですか・・笑)
上っ面の勉強でかろうじて頭の隅に引っ掛かっているだけの人名や著書名が、katsuさんのブログで縦横無尽に展開されているのを見て、大変興味をかきたてられます。
当ブログは「世に訴える」というより、多分に自分の精神衛生上の必要で書いているようなものなので、生暖かくお見守りくださいm(_ _)m

いや、理論的誤謬・甘さがありましたらビシバシご指摘くださいませ(笑)










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旗旗, 2005/05/13 8:55 AM

ここでの主張は、ソ連の一国防衛主義や生産力至上主義、あるいは日本共産党の諸要求貫徹路線など、「もっと儲けたい、いい暮らしがしたい」という、あるがままむき出しの個人主義的欲求に訴えるような「左翼運動」が、スターリン主義の正体であるということです。そうい