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ハンセン病者を隔離したのは誰か

ハンセン病 検証会議が最終報告 隔離政策の真相解明(3月2日毎日新聞)

隔離政策に対する国の責任を認めた熊本地裁判決が出たのは2001年5月11日。そのとき私はハンセン病について特段の知識も関心もなかった。
国の控訴断念を求めて首相官邸前で抗議行動する人々(5月21日)を、たまたまテレビのニュースで見た。訴える人々の必死の表情を見た。
わずかな間の映像に過ぎなかったが、心に刺さるものがあった。「抗議行動」なんて自分にとっては珍しい光景ではなかったが、そこに集っていた人々の表情は必死だった。
わけがわからないけど、ほっておいてはいけない気がした。
国賠訴訟団のホームページをすぐに見つけることができた。そこでハンセン病患者の人々が被ってきた酷い歴史を、綴られた想いを食い入るように見た。この日本で・・・自分の生きてきた時代で・・・
その二日後だったと思う。控訴断念を求める街頭行動があるのを、その日にネットで知って駆けつけた。何もできないけど、あの人々の叫びに応えなければいけない。
人間の尊厳がかかっていると思った。
帰宅して、政府が控訴を断念したというニュース、喜ぶ訴訟団の人々の姿を見て感情が堰を切った。あの思いは今も忘れられない。

ハンセン病者の隔離は、日本の強制収容所だったのだ。知ろうと思えば、その非人間性に誰でも気付くことができたのに、圧倒的な無関心と偏見のために何十年もの間、闇に閉ざされた人々がいた。人間としての尊厳を奪われて数多の人々が亡くなっていった。

患者は子どもをつくってはならない、とされた。
全国の国立ハンセン病療養所から胎児や新生児の標本が多数見つかった。
生まれてきてはならない。死ななければいけない。
研究目的ですらない、ただの標本にされた人間。
私はそのことを今日知った。

私たちの社会はそれを許したのだ。
絶対に忘れてはならない。

ハンセン病の人々のたたかいは、まだ終わらない。

at 18:12, 主義者Y, ハンセン病

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comment
setuko, 2005/03/03 7:58 AM

少しホ−ムベ−ジが,変わったので一安心してます。松井やよりさんがお書きになった本の中にも出てきましたが、貧乏人の中にも人を一段見下したエッタと言って差別していたのを子供心に強烈に思い出します。今は差別がなくなった訳ではなく、まだ歴然とした差別の中で生きている人々を思う時胸が痛みます。松本清聴が書いた砂の器の中でもハンセン病の差別の中で生きた人々の事改めて忘れてはいけない事を心にとどめて生きていかなければと、つくづく思いました。

主義者Y, 2005/03/03 9:59 PM

>setukoさん
私は「砂の器」を見たあとでも、それが現在まで継続している差別だとは気がつきませんでした。
衝撃だったのは、平和や人権を守ろうとする団体や運動が、どうしてかくも長い間、ハンセン病者の痛みに寄り添わず鈍感だったのかということです。どうしてこんなにも苦しみ、貶められた人々をかえりみず放置してきたのか、と。

エントリーの文章に少し補足し、当時私が見たホームページを探し出せたのでリンクを貼りました。ぜひご覧ください。
また、サイドバーのリンク欄(下のほうで目立ちませんが)にも入れておきました。

首相官邸前のニュース映像を見たとき、ほんとうに人々の姿に切羽詰ったものを感じました。不思議なことに、あの時は自然に身体が動きました。
本気には本気で応えなければ、と思ったのです。

スケジュール闘争化して惰性に陥った左翼の運動にはないものでした。
絶対に負けられないという気迫を感じました。
あのようなたたかいを築いた人々に、私は無上の敬意を抱きます。

setuko, 2005/03/03 11:29 PM

松井さよりさんの著書にもあったような気がしきすが、被差別部落の問題に疑問を投げかけたのが、住井すえさんの橋の無い川だと今も思っています。もしよろしければ、一読の価値ある本だと思います。貴方のお元気な様子たまには、私達にもお顔を見せてください。










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