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自動機械

自動機械のように自分に課せられたことを、淡々とこなしていく。
仕事でも組合でも。人が私に求めるのであれば、それはやる。
とりたてて優秀でもないが、未経験のことを次から次へと取り込んで、咀嚼し、加工して右から左へ流していく。
とにかく役割を果たし責任を果たして、大過なくこなしていく。機械としては、それなりのスペックだ。

土日は誰とも話はしない。
よっぽど、こちらが積極的にのりだしていって、よっぽど暇な人でも捕まえないかぎり、言葉を交わすことはない。
財やサービスの消費行動に伴う発話を除けば、他人と話すことは皆無だ。
もっとも、都市の商品経済社会においては、そんな生活は珍しいことではないだろう。
考えてみれば集会やデモに行ったって、大抵ひとりで行ってひとりで歩くだけだ。同じことだ。
社会運動的な機能を果たしている点では、職場の仕事上の役割と、そう隔絶したものでもない。

幻想の焦慮感に囚われて、必死に活字や映像を摂取しても、べつに誰かに褒められるわけでもないし、
刻苦勉励を怠ったからといって誰かに指弾されるわけでもない。じつに滑稽で無意味な独り相撲なのである。
世界についての膨大な記録も知識も、たとえば自分が自宅で腐乱死体となって一週間後にでも発見されれば、
腐って耐え難い悪臭を放つ脳髄と、大量の紙ゴミ・ファイルデータとあわせて、すべては無用の廃棄物だ。

平日の実務労働以外は、他者との必然的な労働関係以外においては、私は存在しないに等しい。
こんな生活をもう、何十年してきているのだろう。これを生活と呼べるのであれば、だが。

どうも自分は人間ではないような気がする。
論理と論理が交差して生成する自動機械、あるいは「役割」という概念が擬似的に主体化したものなのか。
欲望を消失した無機的な化合物は人間とは呼ばない。
むかしから肉体的な健康にいっこう関心が抱けないのも、そのせいかもしれない。
エコー検査やレントゲンの結果をみれば、たしかに人体の組成はしているのだが。
病気をしたり、入院をしたりしたことを思えば、たしかに自分は人類と同じ肉体を持ってはいるようだ。

こんなことを書くと、やっぱりいけないのかな。
しかし、年末の自殺願望から辛くも逃れたということからすれば、それでも前進とは言える。
そうだ、自分が自分について思っていることを正直に書く勇気が持てたことが。
そこまでできる、そこまで書いても自分が耐えられる地点に到達できたことは前進なのだ。

「国境の南、太陽の西」を読了。
村上春樹の作品に多く登場する、喪失感を抱える人物たちをすら、羨ましいと感じてしまう。
出番は少ないが、表情をもたないイズミに、いちばん親近感を覚える。

at 21:25, 主義者Y, -

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