私自身、まだ反原発の運動論について整理し切れておらず、運動への主体的関与に軸足を置き切れず、何より当日は東京に不在で参加できないという決定的な理由から、大いに悩み迷いました。まったく情けないかぎりですが、沈黙するわけにもいきません。
可視的に登場させるべき潮流を「左派」と名づけるべきなのか、その「スタイル」はかつての新左翼のものを継承すべきものなのか、いくつも迷うところはあります。しかし、「怒りの表出」はするべきだと思うのです。もっと自分の感情に素直になるべきだと思うのです。
私たちは311事態以降、今まで、それぞれの立場から、各地の反原発・反差別排外主義・反基地・沖縄連帯・三里塚などの闘争に、個人、無党派の立場から参加してきたものです。私たちはその経験に基づき、とりわけ反原発運動において、今や左派の潮流を可視的に「登場」させることが求められているという焦りにも似た認識をもっています。
の当日、まずもって一日共闘として、反原発運動を「反資本主義」「反戦・反差別」「福島‐沖縄‐三里塚は一つだ」などの立場から闘う人々の統一行動の実現を提起する次第です。具体的には統一デモ隊列の実現と、同隊列におけるデモ前の独自「打ち合わせ」などを、他の参加者の迷惑にならない形態でおこなうことです。
左派の潮流的な登場の必要性を一般論として語る方は多いです。けれどもそれが具体的な行動にうつされないことに、私たち個人大衆は大きな不満を抱いています。一方、そういう不満や批判を口にするなら、それはそのまま自分に返ってくるものだと思いました。私たちはたとえ蟷螂の斧と笑われようと、まず私たちだけでも断固として「はじめる」つもりです。
私たちは下記の内容も決して固定のものとは考えておりませんし、議論や相互批判を恐れたり排除するものではありません。なにとぞ私たちの小さな決意を見殺しにすることなく、真剣な検討をお願いする所以です。
◆反資本主義派の登場を!
反原発・反差別排外主義・反基地・沖縄連帯・三里塚。もとより、これらの課題は別々のものではなく、からみあった一つの課題の別々の側面であることは、左派の皆さんには言をまたないことだと思います。それは人間を資本の手段とし、被曝労働者を使い捨てにするような社会との対決であり、すなわち必然的に反資本主義の内容をもたざるを得ないものであります。311事態はこういった社会のあり方の欺瞞性を、大衆的に実にわかりやすい形で露出させ、それゆえに多くの民衆の怒りを呼び起こしました。
そして、これらのからみあった一つの課題の個々の側面に、今まで別々の「個別課題」として分断された取り組みを余儀なくされてきた人々、あるいは既存の大衆運動には無縁でありながら、種々の不満、疑問、閉塞感、生きにくさを感じてきた人々をも含め、それらが反原発運動を結節環として結びつき合流し、そのことによって反原発運動はその幅の広さと深まりの両面において、広範な大衆的爆発を可能にしたのです。
しかし、それこそ50年前から今日まで、大衆の自然発生的な運動の広がりや深化に対し、これを再び「個別課題」に分断して組織的に管理しようという方向性が、いつの時代にも存在します。もとより私たちは、そういった部分をも手をつなぐべき仲間として尊重します。それよりも私たちが一番の不満を感じるのは、こういった旧来の運動のあり方に常に一石を投じ、社会変革の波へと運動を質、量ともに広げる役割を担ってきた、あるいは担うべき勢力が、運動の中でほとんど可視化されていないということです。
確かにそれらは集会場やデモのあちこちに点在していますが、未だに潮流と呼べる存在はありません。なのに存在しない「左翼なるもの」に対する批判が、あちこちでごちゃませ的に繰り返されています。それはちょうどかつての新左翼が「社共総評」を批判することで「それとは違う私達」を大衆にアピールし、それをもって自分達が何か「新しいもの」であると宣伝した、その手法を旧勢力に逆手にとられている現象です。このような「左翼」をスケープゴートに仕立て上げる宣伝手法は、今やそのためには右翼団体との連合さえを容認するまでにエスカレートしています。
このような旧勢力の反左翼キャンペーンに対して、これを「デマ」や「反動」と切って捨てることはたやすいです。ですが私達はまずもって、それが一定有効性をもってしまうような「左翼」の歴史的現状を、主体的に省みることが第一だと考えます。
その上で、こういった宣伝手法に単純な自己肯定の「反・反左翼キャンペーン」を言葉の上で繰り広げ、それをもって自分達の左翼性やらラディカルさを自己確認したり、それとは全く逆に、彼らの逆鱗にふれないようにうまく立ち回り、なんとなくその末席にいさせてもらうという、悪しき「大同団結主義」でも、情勢を突破するようなものは何一つ作り出しえないと考えます。
私たちが何よりも一番に追求するべきは、運動の内部にいる他者を批判することで自己のアイデンティティを確認したり、あまつさえそれを大衆的課題やスローガンにまで祭り上げることではありません。それではいつまでたっても批判している相手の周りを回る衛星でしかない。求められているのは、私たち自身が彼らに対置しうるような内容でもって登場をはたし、大衆に潮流的な選択を迫りうるだけの存在になること、他者の衛星ではなく、自分自身が輝く恒星になることではないでしょうか。
◆怒りの文化を復権させよう!
一方、私たちは、これまでの経験の感想や総括提起を出し合う中、反原発などの大衆運動の場において、かつて左翼が先頭で切り開いてきた「怒りの文化」を復権させるべきだと考えています。私たちは全身からほとばしるような怒りに満ちた、左派の統一的な「戦闘的デモンストレーション」の実現を提起します。
それは一見するとふざけている、あるいは「同窓会」的な気分にひたっているように見える危険があるかもしれません。実際、そういう気分で参加する人がおられたとしても、それはそれとして排除することもないとは思います。ですが決してそれだけではありません。
つまり、私たちは怒っているのです。
私たちはこんなにも怒っているんだと相手に知らせたいのです。デモとは本来そういうものだと思います。それを表現するためには、それにふさわしいパフォーマンスを行う必要があります。自分達以外のあり方を否定するつもりは毛頭ありませんが、私たちの怒りを表現するのに、楽しげな雰囲気の演出にばかり心を砕くような「パレード」ばかりではやはりふさわしくありません。
繰り返します。私たちは怒っているのです。核発電に、排外主義の跳梁跋扈に、公安の弾圧に、外への軍拡と緊張拡大政策に、国内民衆への犠牲のしわ寄せに、私たちは怒っているのです。そして私たちが知らないところで、若者や名も無き民衆もまた怒り、その怒りの本質や向かうべき先もわからないまま、自分でも正体不明の閉塞感の中で出口を求めています。
ですが、現在の強弾圧体制下のデモでできることは、実はそんなに多くありません。ところがその程度のことでさえ、今は自分達の「スタイル」が民衆に受けが悪いから自分達は衰退したのだとする「左翼」の判断によって、怒りの文化はすっかり影をひそめています。
そのうち、いつのまにか「在特会」だのの排外主義者のほうが自己の「暴力性(擬似革命性)」を看板とするようになり、閉塞感の中で出口を求める若者は、お行儀のいい「ピースでエコ」なサヨクより、むしろそちらに惹かれています。さらに本来わたしたちがやるべき排外主義者への怒りの表出行為すら、右派的な部分にお株を完全に奪われているではありませんか。「スタイル」の問題だと言うなら、これをどう解釈するべきかという問題があります。
別に物を壊したり人を殴ったりして「暴れるべきだ」と言っているわけではありません。「戦闘的デモ」と言っても、実際には充分に非暴力で平和的な行動にすぎないわけです。ところが大衆ではなく左翼の中にこそ、残念ながらそれを揶揄するような雰囲気があります。しかしそんなことではもう、私たちの呼びかけ対象となるような層は、大半が右派部分に持っていかれると思うべきです。
◆左派潮流の登場を「要求」します。
私たちがこの呼びかけを確認した時点で、確実な参加者は10人にも満たない状況です。たとえそうであっても、全身からほとばしるような怒りに満ちた戦闘的デモの実現を提起し続けます。
無力な個人・大衆にすぎない私たちの呼びかけは、ほとんどの人から嘲笑を受けるのかもしれません。それも覚悟の上での呼びかけです。
ちなみにアーサー・C・クラークによると、革命的な展開が起きるときの、人々の反応はこんなふうに推移するという。
1回目 「まったくばかげてる、時間の無駄だ」
2回目 「なかなかおもしろいが、たいして重要ではない」
3回目 「いいアイデアだと私は前からずっと云ってた」
4回目 「実はあれは私が最初に思いついたのだ」
(イノレコモンズのふた。「まったくばかげてる、時間の無駄だ」より)
繰り返しますが、私たちの一番の不満は、あれだけ反左翼キャンペーンが繰り広げられながら、実際には集会場やデモ隊列のどこにも、潮流と呼べるだけの左翼が存在していないことです。「安倍政権と対決しうるだけの左派潮流の登場」という大衆的な要請について、それに反対する左派はほとんどいないと思います。ところが実際には、暗闇の中で小さなたいまつをかかげながら、「わが派に結集せよ」という声しか聞こえてきません。
従来からの関係の延長線上での「無理のない」共闘や、各地の組合、住民・市民団体の一人としての参加なども、とても大切な闘いだとは思います。しかし今はもっと大胆な潮流的な登場をこそ追求するべき時ではないでしょうか。私たちは皆さんに、大衆の一人としてこのような左派潮流の可視的な登場を要請、いえ!もはや要求するものです。
われわれを見殺しにするな!
2013年9月15日 「10・13反原発統一行動」参加予定者有志
連絡先:zigzagkai@gmail.com