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死刑執行の日に

怒りで我を忘れて人を殺すのではなく
殺したいから殺すのではなく

知らない、と言っても
反対、と言っても
「執行」する死の 幾分かの一を担う

at 21:50, 主義者Y, その他

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ふる, 2012/03/30 10:46 AM

 死刑執行、生命の大切さを考えると複雑な気持ちになります。考えていかなければならない問題だと思います。

主義者Y, 2012/03/30 10:20 PM

はい。
自分も主権者のひとりであり、あらねばならないと思うと、制度としての死には一定の責任があると思うのです。ふだんは考えたくもないのですが。

死刑の執行を告げられるのは当日の朝だそうです。朝の決まった時間が過ぎ去れば、その日一日は生き延びられると。それが毎日続くのが死刑囚の生活です。自分がそのような立場にあったら、本当に自分を殺したいと願う人間に殺されたほうがいい、と思うかもしれません。










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