銃撃されたCharlie Hebdo社は近くだった



右上が銃撃されたCharlie Hebdo社。私が泊まっていたのは左真ん中の赤丸のところです。
帰国便に乗った2日の午前にはヴォージュ広場に面したユゴーの家の前まで行き、カルナヴァレ美術館で「1944パリ解放」の展示を見て、最後にホテルに最も近いショアー記念館を訪れたのでした。右下のバスティーユ広場には元旦の夕方に散歩しています。

私の旅は、今までもなぜか「事件」にニアミスすることが多いのですが・・・またか!という驚きです。

at 20:18, 主義者Y, 時事

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「洗脳」って言うな

地下鉄サリン事件の容疑者が続けて逮捕されている。気になってしょうがないのは、彼女・彼らがいまだにオウムの教義に「洗脳」されているのではないかという、メディアの言い方。

思想や宗教を人生の指針にもたない人間が圧倒的にマジョリティの日本社会では、じつにお手軽に使われる言葉だ。「洗脳」されるのは、自分以外の特殊に愚かな人間だ、という思い上がった嫌味が感じられてならない。

「アラーの神が」云々と、イスラーム急進主義の自爆攻撃を批判する向きも同じ。
自分が批判しようとする相手が信奉するものを、少しでも理解してみようという気がない。
そういう相手に対しては、戦争で殺してもかまわない、人権を守る必要はない、と思うのだろう。


(おまけ)
高橋容疑者が住居に残していった本を見て、どこかの教授が「やはり自分が信仰していたオウムと関連した精神世界関連の本を読みつづけるのは自然なことなんでしょう」趣旨のことをコメントしていた。ふつう、逃げるときは大切なものは抱えていき、どうでもいいものは残すという人間行動の簡単な想像もできないのかね?「知識人」って、とんでもないところで常人以下のアホに・・・

at 08:48, 主義者Y, 時事

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市の命名権売ります

 市名売却は「時代の流れの一つだ」…泉佐野市長

資本主義はあらゆるモノ・コトを商品化していく。ここまで来たかという感じ。
くだんの大阪市長も「いたるところに企業の名前が出るわけだから、ものすごい広告価値になる」と絶賛しているとか。

あなたはどう思いますか?よい思いつきだと思いますか?
なんでもかんでもカネになれば良いアイデアだと思いますか?
住所をどこかで言う・書くたびに企業宣伝をやらされる市民の気持ちなんて、財政再建のためならしょうがないと考えますか?というか、そもそもそういう想像力がはたらきますか?

ネーミングライツなるものを売ることによって、そのうちヒューマンライツまで売り渡すことになっていくでしょう。なんでも商品化していけばいいのですから。

生まれてくる子どもの命名権を貧困のために売る親がでてきたら、どんな議論になるでしょう?「生活保護にかかる社会的コストを低減させるためには、自己責任の範囲でそれに対処するのも選択肢としてアリだと思う」なんて、もっともらしい意見を言う輩が本当に出てきそうです。そんなふうに名前を付けられた子どもはたまったもんじゃない。

土地でもヒトでも「名前」はどいういう重みをもつものなのか、という問いがなさすぎです。哲学がなく、経済しか顧慮されない。思考が停止して人間の価値がどんどん貶められていく。
「時代の流れ」という言い方も無責任です。総務省をも驚かせる発表をして、自らが「時代」を方向づける水路を掘っているわけでしょう?


絶賛市長が主唱した、命令と選別で優れた人間が製造できるという教育観の条例が大阪府で成立しました。
もう牧口教育学の理想なんてどうでもよくなってしまったのね>大阪公明党

at 10:37, 主義者Y, 時事

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静岡空港建設 抗議の焼身自殺

抗議文

石川嘉延に物申す
貴様は、静岡県民の意思に反して静岡空港建設を推し進め、 今は、農民から無理やり、権力を使って土地を取り上げ、 又、反対する多くの支援者をも無視して、力ずくで排除し、 何の必要も無い、永久に税金を無駄遣いする空港を、 嘘八百を並べ立てて、さも役に立つ空港であるかのように偽装し、県民を騙し、 犯罪者となんら変わらないゼネコンを使い、癒着し、県民に百年の禍根を残すその所業は赦しがたい。 よって、我が命を捨ててその悪行を糾弾する。
今、地球は危機的な状況にあり、このような環境破壊に金を使うべきではなく、 間近に迫っている温暖化への対策にを使うべきなのだ。

                 地球市民 井上英作


●井上英作君の焼身抗議について声明(県民の会)

 一身を持って空港建設に抗議し、自らの命を絶った、井上英作君の訃報は痛恨の極みであり、この怒りを言葉にすることはできい。
 知事石川喜延に宛てた井上君の抗議書には「県民に百年の禍根を残すその所業は許しがたい」とあるとおり空港事業に未来はなく、県民の利益と相反するものである。
 この真理にたって、井上君は、県民の会事務局員として重責を担い、また立木を所有し、山林の共有地権者なって闘いを続けてきた。
 だが、今はもう彼はここにいない。彼をして、ここまでの思いに至らしめた理由は、明白である。われわれは井上君の意思を受け継ぎ、あくまでも空港廃絶を実現するまで闘うことを誓う。

                 2007年2月6日空港はいならい静岡県民の会



以上、「空港はいらない静岡県民の会」のサイトから

焼身自殺 静岡県庁前で 空港建設に抗議か(2月6日:毎日新聞)

(2月9日追記)
疲れていたせいか「空港はいらない静岡県民の会」のリンクを間違っていましたね(^^;)
いまは修正しましたが、その前に間違って貼っていたリンク先は、ブログ「残照」の当該記事です。
『一人の焼身自殺とメディアの扱い(静岡空港建設問題)』
こちらもご覧ください。

「抗議の自殺」の是非について、議論はあるでしょう。でも、死を賭した人の言葉にまずは耳を傾けるべきだと思います。


at 00:25, 主義者Y, 時事

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ロンドンの同時テロ

今朝テレビをつけて驚いた。
病院の中では、読書かパソコンかテレビを見るくらいしかすることはないのだが、テレビはだいたいが面白くないのでほとんど見ない。きのうの夜はニュースすら見なかった。
アルカイダ系と目されるテロは、信憑性のある組織名を名乗らない。IRAや「バスク祖国と自由」のような継続的な組織による犯行ではない。系統的な主張をする組織名のもとの活動は、それに反発するにせよ支持するにせよ議論の結集点を形成するが、匿名のテロはその場かぎりの主張である。不安を拡散し、敵意を拡大し、建設に向かわないという点で、純然たるテロの姿といえる。
我らが小泉首相は、さっそく「テロには屈しない」という声明を出した。
毅然たる姿勢は見飽きるほど結構なことだが、対テロ戦争に参戦するということであっては困る。「共有掲示板」で話題になっている「共謀罪」の審議入りは、そのための伏線かと勘ぐりたくなる。戦争状態になれば、自由や民主主義の制限はしかたがないという気分になる。
「戦争になったらどうするんだ」という議論より前に、「戦争をおこさせないためにはどうするんだ」という議論が必要だろう。いや、すでにおきている戦争をどうするんだ、という議論はしているのか。

* * * * * * *

爆破された地下鉄の坑内を避難しているロンドン市民の映像を見た。
パニックにならず冷静に歩いている姿が印象的だった。
これが東京なら、とてもああはならないだろう。自分も狼狽して走り回るにちがいない。
冷静さは大切だが、それは常にテロの危険に身構えている「戦争状態」の市民の冷静さではないか。なんだかナチによるロンドン空襲のときの市民の姿を思い出した。
そう考えると、それは幸せな状態だとはとても思えない。

(参考)
たわごと手帳」にこんな記事書いてました。
「ベルリンのイギリス大使館」


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at 11:05, 主義者Y, 時事

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JR社員のメール

PPFVさんのブログでJR社員の方からのメールが紹介されていました。
JR西日本の「砂漠のような職場」の実態が綴られています。信楽高原鉄道事故など、過去に遡った同社の体質についても報道で語られることが多くなってきましたが、ここでは「日勤教育」に象徴されるような労働者への締め付け、労組への弾圧といった側面が描かれています。
JR西日本という組織が「人間」をどう扱ってきたか、その姿勢が安全対策軽視や事故後の無惨な対応ぶりにつながってきていると思います。

転送引用歓迎とのことです。

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at 14:52, 主義者Y, 時事

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事故現場に群がる取材ヘリ

福知山線事故車両の4両目に乗っていた方のブログ(iolog)にこんな記述がある。
私は邪魔にならないように道路の脇の空き地の隅に座り込んだ。
ヘリが飛んできた。(各新聞社のヘリは伊丹(空港)に常駐している為、事故へ駆けつける早さとしては最速だったろうと思う)

まず毎日が到着、次に朝日も来た。全部で7機くらい。
あー、ヘリの到着順序で現場の旋廻高度が決まるのかな・・・(早く着いたヘリから一番近くを飛べるのかな・・・)
なんて考えていたくらいなので、だいぶ落ち着いてきていた
続きを読む >>

at 11:59, 主義者Y, 時事

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JR西日本の文書改変要求

誰もが憤ることではあるだろうけど。
尼崎の脱線事故で娘を亡くした方が、同じ悲しみに苦しんでいる他の遺族の人々にJR西日本をつうじて手紙を配ろうとした。
犠牲者の名簿を見せる云々は確かにプライバシーの関係で断らざるを得ないだろう。しかし、いったん配ることを引き受けながら前言をひるがえし、あまつさえ内容の改変を要求するようなこの対応はいったい何だろう。
自分たちへの批判の拡大を防ぎたいということしか考えていない。遺族の横の連絡をさせたくないのか。本当に遺族の人々に対して「申し訳ない」と思っているのなら、こういう動きに対しては、辛くても何も言わずに積極的に応じるべきではないか。
くり返されるカタチばかりの謝罪の言葉と姿勢に、心底怒りを覚える。

あまりに酷いことは、よってたかって非難していい。


(追記)
福知山線事故生還から二夜あけて。《脱線事故全記録》(iolog)
FUCK、JR&○○新聞(ARUMISINの徒然ブログ)

TBいただいたところで紹介されていました。事故車両に乗っていた方のブログです。



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at 13:12, 主義者Y, 時事

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なぜ同僚を見捨てた 尼崎脱線事故

事故列車に乗っていたJR西日本の運転士2人が、犠牲者の救出に向かわず上司の指示を受けてそのまま出勤した。

惨状を目の当たりにして、一刻も早く助けなければ失われる命があるという現場で、なんということだろうか。
人間として、職業人として、乗客の命を助けようとするのは当然だが、せめて自分の同僚がどんな状況に陥っているのか気にもしなかったのか。

「先頭車両がグシャグシャになっている」のを視認しながら、同じ運転士の仲間がどうなったか、そういうことを気遣う想像力すら失っていたのか。

同じ日に「親睦ボーリング大会」に興ずる社員たち。
胸の悪くなるような冗談としか思えない。



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at 09:18, 主義者Y, 時事

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福知山線脱線事故 JRと私たちと

ずっと自宅にいると、ついついテレビの電源を入れてしまう。
見たくなくても脱線事故のニュースが目に入ってくる。人に死なれる悲しみを、いやというほど見せつけられる。辛いので見たくないが、見てしまう。それでも遺族の声の途中でスイッチを切ることもしばしばだった。この地球上でそんな悲しみは日常茶飯だ、特別なことではないと言われても、やはり目に触れる報道で心痛むことは否めない。

なぜ、こんなことが起きてしまったのだろう。
様々な原因究明がいまでもなされている。偶発的事故ではなく、人の手によって防ぎ得た事故であれば何としても防がなければならない。それが生の途中で断たれてしまった人々を弔うために、残された者たちの悲しみを癒すために、かならず応えなければならないことだ。あたりまえのことだけれど、何度でもくり返して言うべきことだ。何度でも何度でも何度でも、くり返して言うべきことだ。
JR西日本は、責任逃れの言辞を弄することに汲々とするな。
息子の遺影を支えきれずによろめく母親の悲嘆に同苦する気持ちがあれば、おのずと自らの為すべき振る舞いがわかるはずだ。幹部から現場の職員に至るまで、それぞれの誠実さを果たせ。もう、絶対に事故は起こしませんという決意を示せ。自分たちに不利な情報も含めて、事故原因に関連する事実をすべてさらけ出せ。

事故前に、指令所が高見運転士を呼び出そうとしていたのは、カーブに進入する際の、運転操作でもっとも重要なタイミングだったことが関係者の証言で分かった。指令所から二度にわたる呼び出しを受けた高見運転士は、オーバーラン後の動揺の中でのブレーキ操作に加え、指令所への応答という“三重の緊張”を強いられていたとみられ、専門家も、“過密ダイヤ”に縛られる運転士は想像以上のプレッシャーにさらされると指摘している。
5月3日:産経新聞

いっぽうで私たちの考えるべきことは何だろう。
「1分30秒」の遅れがパニックになるこの世界を、やはりどこかおかしいと思わなければいけないのではないか。
「日勤教育」のような、イジメて人を傷つけるだけの懲罰研修の愚劣さに不感症になってはいないか。
「生き残り」をかけてしのぎを削る激烈な競争の社会。
より多く消費できること、便利さ=幸せ と錯覚していないか?
経済成長に有用なもののみを褒め称え、「役に立たない」ものの価値を不当に貶めてはいないか。
一定の「負け組」を前提として繁栄するするような社会は、やはりおかしくないだろうか。
厳しさが人を成長させることも殺すこともできる。競争自体が悪なのではない。いったい「何を」競うのか、その中身を考えることが疎かになっている。本当に価値あることで競うことが忘れられている。
また、他人との競争だけではない。昨日の自分と今日の自分との競争ということを忘れている。いったん「勝ち組」になった者の堕落は、そのことを忘れることから始まるのだと思う。他人より上に立っていることの傲慢さが自身の成長を止める。人間への想像力が枯渇し、自分ではなく他人が犠牲になることに無感覚になる。最低の人間に転落していく。自分が「勝ち組」予備軍だと思い込んでいる者も同様だ。

ぎりぎりに追究された利便性を手放すことは、私たちの生活から「豊かさ」を減ずることになるだろう。しかしその「豊かさ」を放擲してでも、「人間の幸福」を求める覚悟に立つべきではないだろうか。

私は死者に応えるために、その覚悟に立つ。



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at 10:38, 主義者Y, 時事

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