ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71) (アスキー新書 71)
常岡 浩介
チェチェンゲリラに従軍したという、何とも壮絶なルポだ。ゲリラ部隊はチェチェン国内だけでなく、グルジアを拠点にアブハジアへ転戦したりダゲスタンで作戦行動をしたり、カフカスの広い地域で動いていたのだなと知った。この地域の紛争の構図を理解するのは骨が折れそうだ。まあなんとか、イングーシや南北オセチアも含む地理関係くらいは頭に刻み付けられたが。
本書は明確にチェチェン側の立場に立って書かれたものであり、著者自ら「中立的ではない」と言い切っている。そのため情報の真偽については注意せねばならないだろうが、日本人が書いたものとしては類書がないだけに価値があるだろう。また、ロンドンで暗殺されたリトビネンコと面識のあった数少ない日本人のひとりでもある。
↓こちらで本書の内容を手際よく語ってくれている。
そういえば「
グルジア問題」とはスターリン主義のひとつの萌芽でもあった。グルジア共産党の意向を無視してスターリンとオルジョニキーゼの赤軍がグルジアに侵攻し、強制的なソヴィエト化を行ったのだ(1921年)。
きょうはメキシコでトロツキーがスターリンの手先によって殺された日(1940年)。
諜報機関による暗殺・謀略という体質は、いまだにロシアに息づいているのか。
(メキシコ・コヨアカンの『トロツキー博物館』で。熱心に見学してたら、館員の人が親切にもトロツキー暗殺を報じる当時の新聞を見せてくれた。リアルな歴史の追体験という感覚で、手が震えるほど興奮したことを憶えている。)
また、きのうはソ連軍のプラハ介入40周年だった(1968年)。
暗鬱な歴史の記念日ばかり思い出すなあ。
露、変わらぬ支配意識 「プラハの春」弾圧から40年、またグルジア
(チェコ・プラハの『共産主義博物館』。ソ連軍戦車のキャタピラの一部。)
さらに言えば8月19〜22日は、ソ連崩壊の契機となったクーデター事件の起きた日々である(1991年)。あのとき独裁への逆流を阻止した人々の勇気は、ロシアのなかに受け継がれているだろうか。
(モスクワ・サドーヴァヤ環状道路にかかる橋の上。この下でクーデター派の装甲車に轢かれた人々を悼む記念碑。日付は『1991年8月21日』とある。)
(同じ場所。新しい碑に立て替えられている。今はどうなっているか知らない。)
1993年10月のクーデター未遂事件では、まさにその時にモスクワ〜ペテルスブルグ〜リガ(ラトビア)〜ベルリンを旅していた。反エリツィン派の部隊が立てこもっているロシア最高会議ビルを川の対岸から眺めやり、ベルリンのテレビでそのビルから投降して出てくる兵士たちのニュースを見たものだ。
(サンクト・ペテルスブルグでの反エリツィン派のデモ。このあとラトビアに入ったらモスクワでの騒乱が始まった。)
ああ、なんだか「歴史の現場」だけは数多く歩いているだけに、思い入れが強くなってしまうなあ。私はジャーナリストでも何でもないし、さすがにグルジアやチェチェンには行けないけれども。
ふう・・・
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