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虚栄の帝国ロシア

虚栄の帝国ロシア―闇に消える「黒い」外国人たち
虚栄の帝国ロシア―闇に消える「黒い」外国人たち
中村 逸郎

グルジアの情勢をきっかけに最近はロシア関係のものを立て続けに読んでいる。
アンナ・ポリトコフスカヤのチェチェン・ルポに描かれる戦争の実態は、気分が悪くなるようなえげつなさに満ちた暴力と恐怖の支配する世界だった。本書は旧ソ連下にあった周辺国(中央アジアやカフカス、モルドヴァなど)からの出稼ぎ労働者が、ロシア社会のなかでいかに搾取・収奪されていくかを丹念に取材している。こちらは市民生活のなかで構造化された暴力と恐怖のメカニズムと言える。

タジキスタンから到着した列車から降りる労働者たち。待ち構えるロシアの警察官は手当たり次第にパスポートチェックを求め、難癖をつけて金をまきあげていく。無料で配られるはずの入国カードを売りつける列車の車掌。入居するアパートが無いので真冬の建築現場で寝させられる労働者。事実上不可能な申請手続きを求めることで外国人の不法就労を生み出すロシアの法制度(?)。それをまた知ったうえで、定期的に労働現場を巡回して「不法」就労者から賄賂をむしりとっていく警察官。
・・・こんなものは序の口で、もっともっと醜悪で眩暈がしそうなほど悪辣な収奪の世界が展開していく。読むのにエネルギーが要る。中国でもチベットやウイグルなどの民族弾圧、経済弱者への人権抑圧や言論弾圧などもあるが、ロシアでの無法で露骨な力の行使に比べると穏やかにすら思えてしまう。
ほとんど国家として破綻しているのではないか、と思えるほどだ。

出勤する前の早朝に誰がアパートの道の雪を掻いて歩けるように仕事をしているか、ロシア人の一般市民は知っている。そのほとんどが就労許可を得られずに「不法な」状態で低賃金労働を強いられている外国人であることを知っている。しかし両者が言葉を交わすことはない。

これはロシアを知るための優れて好適なテキストだ。


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at 22:15, 主義者Y, ロシア

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ロシア 語られない戦争

ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71) (アスキー新書 71)
ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71) (アスキー新書 71)
常岡 浩介

チェチェンゲリラに従軍したという、何とも壮絶なルポだ。ゲリラ部隊はチェチェン国内だけでなく、グルジアを拠点にアブハジアへ転戦したりダゲスタンで作戦行動をしたり、カフカスの広い地域で動いていたのだなと知った。この地域の紛争の構図を理解するのは骨が折れそうだ。まあなんとか、イングーシや南北オセチアも含む地理関係くらいは頭に刻み付けられたが。
本書は明確にチェチェン側の立場に立って書かれたものであり、著者自ら「中立的ではない」と言い切っている。そのため情報の真偽については注意せねばならないだろうが、日本人が書いたものとしては類書がないだけに価値があるだろう。また、ロンドンで暗殺されたリトビネンコと面識のあった数少ない日本人のひとりでもある。

↓こちらで本書の内容を手際よく語ってくれている。


そういえば「グルジア問題」とはスターリン主義のひとつの萌芽でもあった。グルジア共産党の意向を無視してスターリンとオルジョニキーゼの赤軍がグルジアに侵攻し、強制的なソヴィエト化を行ったのだ(1921年)。

きょうはメキシコでトロツキーがスターリンの手先によって殺された日(1940年)。
諜報機関による暗殺・謀略という体質は、いまだにロシアに息づいているのか。


(メキシコ・コヨアカンの『トロツキー博物館』で。熱心に見学してたら、館員の人が親切にもトロツキー暗殺を報じる当時の新聞を見せてくれた。リアルな歴史の追体験という感覚で、手が震えるほど興奮したことを憶えている。)

また、きのうはソ連軍のプラハ介入40周年だった(1968年)。
暗鬱な歴史の記念日ばかり思い出すなあ。 

露、変わらぬ支配意識 「プラハの春」弾圧から40年、またグルジア


(チェコ・プラハの『共産主義博物館』。ソ連軍戦車のキャタピラの一部。)

さらに言えば8月19〜22日は、ソ連崩壊の契機となったクーデター事件の起きた日々である(1991年)。あのとき独裁への逆流を阻止した人々の勇気は、ロシアのなかに受け継がれているだろうか。


(モスクワ・サドーヴァヤ環状道路にかかる橋の上。この下でクーデター派の装甲車に轢かれた人々を悼む記念碑。日付は『1991年8月21日』とある。)


(同じ場所。新しい碑に立て替えられている。今はどうなっているか知らない。)

1993年10月のクーデター未遂事件では、まさにその時にモスクワ〜ペテルスブルグ〜リガ(ラトビア)〜ベルリンを旅していた。反エリツィン派の部隊が立てこもっているロシア最高会議ビルを川の対岸から眺めやり、ベルリンのテレビでそのビルから投降して出てくる兵士たちのニュースを見たものだ。


(サンクト・ペテルスブルグでの反エリツィン派のデモ。このあとラトビアに入ったらモスクワでの騒乱が始まった。)

ああ、なんだか「歴史の現場」だけは数多く歩いているだけに、思い入れが強くなってしまうなあ。私はジャーナリストでも何でもないし、さすがにグルジアやチェチェンには行けないけれども。

ふう・・・


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at 19:09, 主義者Y, ロシア

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8月14日

明日は言わずと知れた終戦(あるいは敗戦)記念日である。
その前日、8月14日の大阪空襲で少なくとも700人以上が死んでいる。小田実はその空襲を生き延びて「難死」の思想を語った。既にその時点では日本国家は無条件降伏を決めており、翌日の「玉音放送」で戦争終結を宣言する予定だった。
その前日の空襲による死に、なんの意味があったのか。
ここで国家指導者の理屈を並べても、爆弾を浴びた人間に届く言葉はない。

グルジアとロシアの戦争は、不安定ながらも停戦の方向へ収束するように報じられている。まだこの先の予断を許さないが、言葉の上では双方とも戦闘開始以前の軍配置には戻すようだ。彼の地のオセチア人、グルジア人、ロシア人が、何を望み何を考えているのかは、それを伝える情報が少なすぎて皆目わからない。この間の戦争で何人の犠牲者が出たのかもハッキリわからない。ただ、侵攻開始以前の状況にリセットされるのならば、そのために殺された人々の死になんの意味があったのか。

これは自然死ではない。戦争を望まない個人にも無差別に強いられる殺人である。誰かが意図してコトを起こさなかったなら、あり得なかった死である。
それが国際政治上の複雑なメカニズムによって如何に生起たらしめられたのかなどと、分析と解説にまず走り出すのはよそう。平和を求める「小さな人」の出発点は、無意味な死を強いられた遠くの人々への想像力である。


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at 23:41, 主義者Y, ロシア

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ロシア軍 ゴリを制圧

中部ゴリを制圧=グルジア側と地上戦−ロシア軍

ゴリって、スターリンの生まれた場所では。
自宅に帰ってきて新聞を見たら、いちおう1面では報道されているようだな。

ロシアとグルジアの選手、表彰台で抱擁 北京五輪・女子射撃

抱擁を交わしたのは、銀メダルを獲得したロシアのナタリア・パデリナ(Natalia Paderina、32)と銅メダルを獲得したグルジアのニーノ・サルクワゼ(Nino Salukvadze、39)。皮肉なことに、パデリナはロシア軍兵士だ。

トビリシ(Tbilisi)出身のサルクワゼは「スポーツについて言えば、わたしたちはいつも友人のままでいるし、どんなことが起ころうとも友情が壊れることはない」と語った。2人は過去の大会などで顔を合わせていたという。

「スポーツ選手や一般の人びとの間に憎しみはないはず。解決は政治家に任せてある」(サルクワゼ )

エカテリンブルク(Yekaterinburg)出身のパデリナも、大会などでサルクワゼと会う時はいつも親しくしていたと語った。実際、旧ソ連時代は2人はチームメイトだった。



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at 01:26, 主義者Y, ロシア

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これはニュースではないのか

暑さを逃れて今日から三日間の予定で長野に来ている。
ということはどうでもよくて、気になるのはロシアとグルジアの戦争状態なのだが・・・
ホテルにチェックインしてテレビを見てみたが、どこの局も報じていない。
いったいこれはどういうことだ? これはニュースにはならないのか?
北京での米国人殺傷事件はくりかえし報道しているのに。

<グルジア>「戦時状態」承認 露が爆撃、死者1500人に

私が見ている時間帯のタイミングが悪いのだろうか。報道材料になる「絵」や、情報そのものが僅少なために報じられないのだろうか。サッパリわからない。

NHKはオリンピックの中継をずっとやっている・・・
思えば4年前の8月13日に沖縄国際大に米軍ヘリが落ちたときも、全く大きな扱いにはならなかった。世はアテネ・オリンピックの報道に塗りつぶされて、市街地の真ん中に軍用ヘリが墜落するという些細な事件にはほとんど注意を向けなかった。

今回もコーカサスがどこなのか知らない日本人にはニュースとしての価値はないのだろう。死者が1000人だろうが2000人だろうが「知らない」地域のことは知ったことではないのだ。おそらくロシアが日本の隣の国だということも知らないのだろう。

at 21:59, 主義者Y, ロシア

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ポリトコフスカヤ暗殺から1年

露の女性記者射殺から1年 捜査ずさん、追悼行事も「弾圧」(産経新聞)
プーチン批判の女性記者暗殺から1年、モスクワで追悼集会(読売新聞)
<ロシア>女性記者殺害事件1年で反政府集会(毎日新聞)

集会参加者が、産経は 600〜700人
       読売は 200人以上(当局発表)
       毎日は 約1000人

産経は中間の数字を使っているが何故だろう。ロシア当局との距離感によって変わってくるのだろうか。
3記事ともモスクワのどこの広場でとは書いていないので、ネットでお手軽に検索できないし、会場面積から参加人数の真偽を裁定することもできないなあ。
まあ、そんな失礼なご託宣を下したら集会参加者の怒りを買うことだけは間違いないけどね。

プーチン派の青年団体は同日、1万人を集めて大統領の誕生日を祝う集会をもったそうだ。
それなりに戦後民主主義に馴染んできた日本人の感覚からいうと、誕生日を祝うほど政治指導者と一体化し、熱をあげる風習がよくわからない。スターリンの時代とそれほど変わっていないのであろうか。

ポリトコフスカヤを悼む。
ロシアの民主主義よ頑張れ。チェチェンに平和を。

<モスクワで白骨遺体>中心部地下に34体 スターリンの粛清?


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at 08:55, 主義者Y, ロシア

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国際NGOの80%が活動停止 ロシア

ロシアで国際NGOの80%が活動停止に!(バイナフ自由通信)

↑こちらで知りました。当局のNGO規正法によって、ロシアで活動している国際NGOの80%が活動停止処分を受けることになったようです。ヒューマン・ライツ・ウォッチや、アムネスティ・インターナショナルなど、著名な人権擁護団体も同国で活動できなくなりました。

チェチェンでの人権抑圧をそれほど知られたくないということでしょうか。
アンナ・ポリトコフスカヤは殺されました。彼女以外のジャーナリストも何人も殺され、中央銀行副総裁や地方の市長選候補者を暗殺する事件もおきています。政治的な敵対者は簡単に命を奪われる、そんな無法状態の国に成り果ててしまっています。
そんななかで、さらに意図的としか思えない国際NGOの締め出し。
世界の「目」と「耳」が邪魔でしょうがない。政府に都合の悪い事実は知らせない。
戦争国家の行き着く先です。


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at 11:41, 主義者Y, ロシア

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きょうの釧路新聞



外務副大臣はモスクへ行くらしい。
1面のリード文でこんな校正ミスが?



これは根室で買ったサハリンとクリル(千島)諸島の地図。私が最後の1部を手に入れたようで、店の人は「あんな事件があったから、ロシアからはしばらく入荷できないかもしれない」と言っていました。

at 21:49, 主義者Y, ロシア

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貝殻島事件

きょう根室駅で買った「釧路新聞」です。


これは「北方館」にあった写真。貝殻島の灯台は1936(昭和11)年に日本側が建てたそうです。


納沙布岬からのバスの最終便は18:35。この時間になると私以外の乗客はいませんでした。

at 22:44, 主義者Y, ロシア

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貝殻島の近くにいます

じつは今、根室にいます。
8・15の前後は戦争と平和について様々考えることの多い時期なのですが、そのすべてを振り切るように北海道に来てしまいました。首相の靖国参拝など本当は気になってしょうがないのを、あえて東京からしばらく離れることにしたのです。「何も考えない」時間を冷涼な土地で過ごしたかったわけです(じっさいは期待したほど涼しい思いをしてませんが)。そのはずだったのですが・・・
行く先がネット接続もままならぬ辺鄙な場所が多く、新聞もテレビも意識的に見ませんでした。それで今日の貝殻島での事件も知らぬままに偶然根室まで来てしまったのです。

けっこう自分は旅先で妙な偶然によく遭遇します。今回もまたか、という。
根室の町に着いて知人に電話をしたら、貝殻島での事件のあらましを聞かされました。
その電話をしている最中に右翼の街宣カーが「根室市長はロシア政府に抗議しろ!」と、スピーカーでがなりたてて通り過ぎました。

もともと納沙布岬へは行くつもりだったのですが、バスターミナルのテレビでちょうど事件の報道をしていました。このニュースを見ている最中にバスが来たので、それに飛び乗ったのです。

事件当時も霧が深かったそうですが、岬に着いてみると海がほとんど見えません。その点は残念だったのですが、わずかに3.7kmしか離れていない現場にその日のうちに居るというのは妙な現実感を覚えます。

岬には「北方館」「望郷の家」という施設があって、北方領土に関する展示がしてあります。着いたのが夕方の4時半だったので急いでさっと見て回り出口の付近に来ると、これもまた絶妙のタイミングで、フジテレビのクルーが北方館の職員に取材をしているところでした。

事実関係は双方の主張に食い違いがあり、現在なんともわからない状況です。詳しい論評はできませんし、いまの私には体力がありません。自分の身近で目にしたことをとりあえず報告しておきます。
ただ、国の支配する境界で人が銃で撃たれて死ぬ、というのはなんともやりきれません。
たまたま現場近くに来合わせてしまったゆえに、その感を強くします。

at 21:19, 主義者Y, ロシア

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