どうしたらいいんだろう

90年の湾岸戦争で、多国籍軍戦費の支援に対し公明党は賛成。「どうして?」という私の問いに、婦人部の人は「10年たったらわかるわよ」と。どんな深慮のもとにそういう判断に至ったのかと一生懸命考えた。25年後の今もわからない。

99年の国旗・国歌法。仕事があまりに忙しすぎて反対の運動にも加われないうちに、自民と連立を組んだ与党として成立させた公明党。「強制をするものではない」なんていう法制定時の約束なんて反故同然だが、教育現場における強制には公明党は何も関心を示さない。もしも自分が同じ状況になったら歌わないし起立もしない。そのために職を失うことになっても拒否をするだろう。そのように自分の信条を守るのは愚かなことなのか?なんであれ「命令」で人間に歌を歌わせるということ自体が許されるのか?

03年のイラク戦争前夜。何度も何度も何度もアメリカ大使館前に行った。この上もなくあからさまな先制攻撃の戦争に対し、理解を示した公明党。ありもしない大量破壊兵器の危険を口実にしたことの反省はしないのか。「政治学習会」でそのことを学会員に勉強させたのは誰だ?サマワから帰ってきた陸自隊員の自殺者に対しては何も問題を感じないのか。クウェートからバグダッドまで米軍の兵士や武器を運んだ空自の輸送を、あきらかな憲法違反だとは認めないのか。

イラクの武装抵抗勢力に人質にされた、高遠さんたちに対する冷酷な態度を忘れない。はじめて公明党に対し抗議のメールを打った。

06年、教育基本法改悪に反対し国会前に何度も行った。準憲法といわれた教育基本法を国会の過半数で改悪。国を愛する「態度をやしなう」のが教育の基本目標になった。「態度」という外形的な行為が、教育の達成目標に加わった。歌を歌い、旗に頭を下げる「態度」が求められる根拠になった。礼拝を強要する国家は、もはや「神」と同義ではないか。信教の自由は、礼拝を強要されることを排するはずではなかったのか。治安維持法違反・不敬罪で捕われた創価学会牧口初代会長は、何故獄中で亡くなったのだ!

原発再稼働の容認、避難者への補償打ち切り、特定秘密保護法、集団的自衛権容認の「閣議決定」、マイナンバー、戦争法の強行採決・・・どれひとつ許せない。

辺野古埋め立て承認を取り消す沖縄県の決定に、防衛省が国交省に「私人」として(!)行政不服審査法に基づく申し立てをした。法の趣旨を省みないメチャクチャな審査請求を公明党の大臣は受理。承認取り消しの執行停止を指示。

日本国憲法第53条 「内閣は、国会の臨時会の召集を決定するすることができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」


戦後、一年間のうちに通常国会の一会期しか開かれなかった例はない。4分の1以上の野党の要求を拒否した今回の例は、どうみても明確な憲法違反である。これは安保法をはじめとする数々の反対意思への説明拒否と議論の場を持たせない、政府与党の専横に他ならない。「国会」を開かないとはそういうことだ。
いま、進んでいるのは法治国家の崩壊と憲法破壊だ。そうじゃないのか。

公明党を応援する発言を聞きたくないばかりに、ずっと足を遠のけてきた地区座談会。
数年ぶりに出席した会合の最後に、幹部は「公明党は正しいんです。来年の参院選にむけて頑張りましょう」と挨拶した。

腸が千切れるほど苦しい。
私の苦しみを知る人間は、この地上に誰もいない。この矛盾を、いつまでひとりで抱え続けていかねばならないのか。
永遠に幸せにはなれそうにないなあ。終わりのない苦しみを覚悟しなければならないか。
どこまで体力と精神力がもつのだろう。

at 15:47, 主義者Y, 公明党

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公明党よ平和の党に戻れ!〜国会前で佐野潤一郎さん(創価大学有志の会)訴え

https://youtu.be/zC21nYsl6ic

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安全保障法案に反対する創価大学・創価短期女子大学関係者 有志の会

at 07:56, 主義者Y, 公明党

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公明党敗北

真摯に反省してほしい。
何度か支持を呼びかけられたけれども、今回は最初からいくつもの論点を挙げてかなり激しく与党批判をさせていただいた。自分は他党(護憲の党と候補者)へ投票することを、今回は言葉を濁すことなく、はっきりとあらかじめ明言しておいた。私ほど明確でなくとも、確信をもって党支援の姿勢を示せなかった同志は全国に多かったのではないか。
公明党が随伴する安倍内閣とはそういう内閣だったのだ。
5選挙区のなかで3箇所も落とすというのは、「全勝」を常としてきた政治勢力にとっては歴史的な敗北なのだ。表現をまぎわらすことなく、はっきりと敗北と認識せよ。この結果をもたらした原因を「説明」や「宣伝」の不足、とどのつまりは活動量や気力の問題で総括するに留まってしまうのならば、更なる退行は押し止められない。
負けて生まれ変わることを私はあえて党に求める。気がつくまでは負けてもらうしかない。それまで私は容赦なく「論」によって党の見識を問い詰める。「未来への責任」は言葉によってこそ鍛えられねばならないからだ。それが私の責任だと思っている。


・・・それにしても、住民登録もせず選挙にも行かなかった人間が政治家になってしまう(東京選挙区)というのも信じられない話だなあ(嘆息)

at 01:38, 主義者Y, 公明党

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石原を叩け

これは時間との競争という一面もあるので、ノンビリとはしていられないのだ。

(↑は『旗旗』から借りました。TBも送ります。)

「浅野か」「吉田か」論争に、厳密な論理でもって参入する能力は、私にはあまりない。
大上段に振りかぶった歴史的比喩で言えば、1932年の大統領選ではテールマンではなくヒンデンブルグに投票することで、かろうじてヒトラーの勝利を阻止できたということだろうか。浅野・吉田の両氏をヒンデンブルグ・テールマンに喩えることの非礼は措くとしても。
ここで言いたいのは、中間派であった当時のドイツ社会民主党系労働者の本能的選択、すなわち決選投票でのヒンデンブルグ支持が、私自身の選択としても適うものであることだ。「決戦投票」という2回戦目のない、1回かぎりの勝負としては尚更のことだ。
ヒトラーを勝たせてはならない。

と、ここで演説をぶってみても、おそらく確信的な石原支持派の人は当ブログを訪れることはあまりないだろうし、見たとしても翻意することは難しいだろう。
私が、ここで、できる固有のことは何か。

創価学会員として私自身が組織内部で反石原の立場を意思表示することの宣明と、我が同志の「支援」活動の対手となるであろう皆さんへの提案である。
統一地方選に臨んで、既に活発に学会活動家は動いている。その情熱は一心に同志候補者の応援に注がれている。いっぽうで首長選に係る働きかけは驚くほどない。眼中にない、といっていいほどだ。公明党が都議会与党だからといって、頑固な石原支持者であるとは決して言えない。悪く言えば無関心なのだ。(別の意味で情けないが、これが現実だ)
おそらく多くの人々は、知人や交流範囲の学会員から公明党への支援を呼びかけられるだろう。そのときに切り返してほしい。
「それではあなたは石原都知事をどう思うのか?」と。

政治の論理が希薄な、それでいて旺盛な熱意溢れる学会員活動家の支援活動に対して、皆さんは訝しく思われるであろう。だが、都知事選に関しては、どちらにでも傾く可能性のある人々なのだ。最初から決め付けてはいけない。対面して政治的議論をする機会の多い人間集団で、対話の如何によっては天秤が傾く貴重なチャンスになるはずだ。石原といえばもともとは大の学会嫌いであり、都政のなかで公明党と連携しているのは彼の側から言ってもマヌーバーにすぎない。昨今いちじるしく名目的なものに成り下がっているとはいえ、公明党の掲げる「人権」や「平和」は、石原にとって本来不愉快なものなのだ。政策の議論が不得手で、しかし候補者の人格については熱心に語る素朴な学会活動家に対して、石原の傲慢不遜な差別・排外主義者の相貌を懇々と知らしめることは、必ず心に落ちるものを刻むはずである。また、そうでなくてはならない。

言葉を向ける先を正しく選ぼう。情熱のエネルギーを有効に使おう。
反石原の広範な戦線を外部に向かって、できうる限り広げよう。

at 21:15, 主義者Y, 公明党

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「日の丸」「君が代」東京地裁判決に沈黙する公明党

念のため、隅から隅まで探してみたけど見つからないのである。
「日の丸」「君が代」不起立処分への違憲判決は、公明新聞のどこを探しても記事になっていない。予想もしていたが、改めて怒りも沸いてくる。
月2回刊とか週刊ではない。毎日発行している全国機関紙だ。毎日情報発信できる政党機関紙なんて、日本には「赤旗」と「公明新聞」しかない。
主要全国紙が一面でとりあげ社説でも論じているトピックが、「事実」としても一行も報じられていないのである。
記事としてとりあげたら「じゃあ、それに対して公明党はどう思うのよ?」という問いに晒されてしまう。それを恐れているとしか思えない。

しかし1999年の国旗・国歌法制定に際して積極的に応援したのは公明党だ。
「強制するものではない」と当時はさんざん言い訳してしておきながら、じっさいは職務命令に苦しめられ処分を受ける労働者を生み出すことになった。(ここで私はわざと『教員』という言葉を使わず『労働者』と表現している)

こういう無責任と無関心こそ、いちばん私は許せないのである。
政策論や意見の違い以前の、言論をどう扱うかという次元の問題である。これでは「法律以前の問題」とトンチンカンなことを言う首相と同レベルではないか。

安倍新総裁の選出に対しても「若い感性」と「安定政権」を期待するのみである。この先の日本の舵取りをしていく人物がどのような政見を持っているか、という点については何も語らない。次の首相となる人物がどんな憲法観をもっていて、どんな安全保障の考え方をもっていて、どのように教育改革を推し進めようとしているのか、そういうことを一切報じることも論評することもないのである。こんな無残な政党機関紙があるだろうか。

きょうは創価学会壮年部の会合があるので、このような意見を言ってこようと思う。地元のささやかな人数の会合だが、小さくても自分のできることをしなければならぬ。


at 10:39, 主義者Y, 公明党

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防衛庁を「省」に

次から次へと、いい加減にしてくれよ。
この話は昨年末の党内論議でいったん流れたのではなかったか。

防衛庁の省移行法案は了承(公明新聞:2006年6月8日付)

「省」に格上げになることの心理的インパクトは、対外的にも対内的にも非常に大きいはずだ。このことをどこまで突き詰めて議論したのか。これだけの記事では全くわからない。何のために「省」にしなければならないのか。「総合的に政策判断」して了承したと言うが、何の説明にもなっていない。
同じ紙面では「党会合での講演から」という題字で、森本敏氏(拓殖大学大学院教授)の文章が掲載されている。
「例えば、米軍再編支援促進法などの審議を通して国民に説明するプロセスが必要」などというくだりもあるが、解説もコメントもなしで紹介しているのみでは、公明新聞が氏の主張にそのまま同意しているととられても仕方がない。

その一方で、イラクのハディーサやイシャキでの米軍の虐殺記事などは全くなし。


at 21:44, 主義者Y, 公明党

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もうひとつ

公明党のHPには「組織犯罪処罰法改正案 Q&A」なるものが載っている。
その一部。
今月(5月)19日に出した再修正案では、民主党の主張にも配慮した上で、対象団体を「組織的な犯罪集団」と明記した上で、「共同の目的が長期5年以上の懲役・禁固の刑が定められている罪を実行することにある団体」と、対象をより厳格にしています。
そのあとに民主党批判が続くのだが
民主党の修正案は、615に及ぶ共謀罪の対象犯罪の数を減らすべきとし、「5年超の懲役・禁固に当たる」犯罪に限定するよう求めています。さらに、国際性(越境性)を要件にするようにも求めています。

 しかし、民主党の主張する修正案は、国連の国際組織犯罪防止条約が求める「4年以上の懲役・禁固に当たる犯罪」(2条)と、「国際的な性質とは関係なく定める」(34条2項)との規定に反するものです。これでは、国内法を整備しても条約を締結することはできません。

与党の再修正案では「4年以上〜」を「5年以上〜」に厳格にする「配慮」した結果、条約を締結することができなくなるはずだが、これでいいのか?
一読しただけでも???な矛盾が見える、この悩乱した文章が「丁寧な説明」なのか?


at 23:38, 主義者Y, 公明党

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「国会混乱を避けるため」?

きょうの衆院法務委員会で民主党は共謀罪の採決に応じないこととし、同法案は継続審議となった。
公明党のホームページでそのことをどう伝えているか見に行った。

ない。
きょう(6月2日付)の「デイリーニュース」の「その他の記事」にも載っていない。

それなら公明新聞はどうか。

あった。
ただし、2面のいちばん左下。
まるで読んでもらいたくないかのように、ほんの僅かなスペースで。
公明党の漆原良夫理事は与党側が民主党修正案を受け入れる理由について、このまま与野党協議を続けても平行線であることから、「民主党は、(与党による採決を)政局に利用しようとしており、国会が混乱するのを避けるため、やむなく了承した」と語った。
「理由」についてはこれだけ。

「混乱するのを避けるため」なら、与党側が採決に持ち込まなければいい話ではないか。そのために、なんで今まで散々に批判してきた民主党案を丸呑みする必要があるのか。
これが「理由」になるか!人をバカにした説明ではないか。

それから民主党へ
なんでも「対案」を出せばいいってもんじゃない。
「反対」すべきものは「反対」すればいいのだ。
条約に賛成した手前、対案を出さざるを得ないってか?

とにかく「共謀罪」の不当性を、もっと多くの人々に訴えることのできる時間ができた。
追撃の手を緩めるな!



at 22:42, 主義者Y, 公明党

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公明党にとっての共謀罪

昨日のエントリーでやや長文を書いたせいか、今日はすこし気が抜けている。公明党の共謀罪認識についてまとまったモノを書こうと気張ってしまっている。悠長なことをしていると書く意味が半減してしまう危険性があるが、あまり焦らずにいこう。このブログは人に見てもらいたいという動機はあるが、半分は自分のために書いている。半ばは自己治癒のためでもある。

断片的でもいいから少しずついこう。
身の回りの学会員では「共謀罪」の認知度自体が低い。これは驚くべきことではなく、一般に時々の政治的イシューについての関心度は学会員であろうとなかろうと違いはない。学会は政治団体ではないので組織内でそのような問題が特別な話題になるわけではないのだ。各種選挙に臨んで「支援」のたたかいに取り組むときには、党組織の枠組みでの政策学習会は開かれる。また「討議資料」としてパンフレット類が配布されることもある。公明党の論理が学会員に組織的に供給されるのは支援活動期間中のことで、それ以外の時期にはない。また、各人の支援依頼の「タネ」としての活用が主眼なので、学習会等の参加は自発的である。
私は民青同盟での班活動の経験が少しあるが、定期的恒常的に集まって「赤旗」などの党出版物を読みあって共同の認識を形成していく、といった態とはかなり隔たっている。宗教団体なのだから当然といえば当然だ。政治的認識の濃淡・浅深に組織全体の水準としては、共産党を対手としたときに大きく水を開けられるのはあたりまえのことだ。共産党側の問題設定の所在が的確であるかどうかは別にしておくが。
一般の学会員においては、公明党の政策の摂取は選挙の限定された期間のみであり、議員の講演聴取や数ページのパンフ学習程度である。あとは個人の必要に応じて更なる学習がなされる。大雑把に言えば指導的幹部の会員において「公明新聞」なり「潮」なりの刊行物から学ぶくらいである。
今日でも公明党の党員はほぼ学会の会員であるが、もちろん全体が重なるのではない。党籍をもつ人間は、やや政治意識をもつ程度の学会員と考えればよいだろう。それでも「公明新聞」を購読しているとは限らない。

以上は学会員にとっては周知のことだが、外部の人には見えにくいところだろう。これらのことは前提的に確認しておきたい。

ここでのポイントは、公明党支援の活動に動いていない(選挙中でない)組織では、「共謀罪」のようなビビッドな問題意識は持たないほうが普通だということである。党員にしても「公明新聞」すら購読していない者は珍しくないし、購読していても熟読している人はもっと少ない。これが実態である。公明党は大衆政党であるというイメージがあると思うが、政策形成や宣伝という面では実質的に議員主体の政党である。

ぜいぜい・・・前置きがこんなに長くなってしまった(汗)・・で、私も公明新聞は購読しているのだが、積読状態(大汗)
面白くないのである。失礼ながら。それでも購読しているのは昔からの惰性ということもあるが、公明党が何を考え何を主張しているかを知るためだ。
もちろんHPもあるので、内容はほぼそちらでも知ることができる。HPの記事も新聞からの転載が主体だ。ただネットを閲覧しない学会員も少なくはないので、新聞を見ることは学会員が公明党の主張をどのように摂取するかを知ることでもある。見出しやスペースの扱いなども通じて。

きょう、ようやく最近1ヶ月分の公明新聞をひっくり返してみた。共謀罪はもちろん、教育基本法、国民投票法、行政改革推進法、医療制度改革法などの諸法案に関する記事もさらっていった。共謀罪についての扱いは予想していたとおり少ない。他の法案に比べれば、少なくとも扱いは小さい。HPでも閲覧できる記事が大半で、新聞でしか読めないものは半面ほどのQ&Aがあったが、簡便な解説を意図したものだから内容的には重なっている。
マスメディアの報道か、あるいは個別に共謀罪に批判的な知人なりに接することがなければ、おそらく「共謀罪」という言葉すら知らないで見過ごしてしまうだろう。
公明新聞での扱いはこんなものである。

(つづく)



at 20:11, 主義者Y, 公明党

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公明党批判を開始します

もはや黙っていることは耐え難くなってきました。
本来はイラク戦争のときに決壊していたはずの「思い」ですが、こんにちの「共謀罪」新設を進めんとしている我が公明党に対して。

私は創価学会員です。いくつかの訪問させていただいたブログのコメント欄で自分の立場を宣明したこともありましたが、ここで公にするのは初めてです。これまでのエントリーで、かつての左翼的な個人史はある程度書いてきました。しかし自らの宗教的信条については完全に沈黙を保ってきました。
最近でこそ少なくなってきたものの、左派的な意見に対する嫌がらせコメントを相手にするのもウンザリしていたし、そのうえに学会という立場を攻撃してくる来訪者がいたら堪らないと考えていたのです。
要するに勇気がなかったのですね。
そしてまた、ネット上であれ他のメディア上であれ、文字面の言葉で宗教上の論戦をしても空しいものだという懸念がありました。創価学会が今日、庶民に根ざした一大組織に発展したのは宣伝媒体を利用したプロパガンダのせいではありません。一対一の地道な対話、ひとりひとりの地を這うような、己の人間革命を賭けた必死の格闘によって到達したその結果なのです。それは私自身が入会して、様々な人に出会い、活動していくなかでようやくわかったことです。「知識人」が高みに立って、創価学会拡大の社会的要因などを分析してみせますが、あまりに表層的な、「人間」を知らない民衆蔑視の浅見と言わざるを得ません。ある人間がある宗教に帰依することがどんなに重い決断なのか。顔や声や息づかいの見えない印字されたコトバだけで人の心が動かせると考える「知識人」は、真の信仰というものが人間存在の深奥からいかに規定するものなのかを知りません。
私は書物よりも多くのことを、知識も教養もないと軽んじられる「普通の」壮年・婦人の人々から学んできました。見かけ上の高邁・難渋なコトバを撒き散らして「変化」を「期待」するような知識人の怠惰と安直さからではなく、素朴で平明な、行動のなかから発せられる言葉の力・信仰の力を学びました。
私が私自身の危機をのり越えて今日まで生きてこられたのは、そのためです。日蓮仏法を淵源とする智慧の発露と蘇生のドラマ、歴代会長の壮絶な苦闘と無名の民衆の不屈のたたかいは、たえず今日の自分を明日の自分へ運んでいく実践の道標です。創価学会がなければ、私は私を殺していたでしょう。
だから私は生涯、学会を離れません。

そのことを確認・宣言したうえで。

学生時代に入信した当初から、公明党への距離は私の悩む問題でした。
「信心することと政党支持は別」という先輩、婦人・壮年部の人々の言葉にしたがって、私はしばらくの間ずっと各種選挙に際しては革新政党への投票を続けてきました。そもそもが自分の政治的立脚点の多くを新左翼の理論から構築してきたのだから当然と言えば当然です。左側からの日本共産党への激しい反発を蔵しながらも、広い見地での日本の左派勢力の伸張を目指して「選挙」という場面では共産党を含む政党の選択をしてきました。
ただ、国政ではなく自治体レベルでは次第に公明党を応援することも多くなっていきました。ヨリ庶民の生活に密着した市町村・都道府県での代表者は、まさに庶民の海のなかから生まれ出た議員に託してもいいんじゃないか、と考えるようになったのです。それは「科学的社会主義」の硬直した機関決定に縛られる共産党や、弛緩した組合民主主義の代表にすぎない社会党議員に対する幻滅と表裏でした。
また、ソ連体制の瓦解をきっかけとする私自身のマルクス主義からの離脱もあります。以前のエントリーにも少し書きましたが、トロツキズムという本来は「スターリン主義」体制の超克を追求する立場にいながら、ロシア革命以来の非資本主義的未来(すみません、ソ連社会を『社会主義』とは見なしていなかったのでこういう書き方になります)への道程が消失してしまったことへの、言いようのないショックがありました。史的唯物論を根底とする「歴史の発展法則」から世界の有り様を見渡すのはいったんやめてみよう、と思ったのです。また何より、スターリン主義に限らずそののりこえを目指してきたはずの新左翼運動の歴史にも発生する、左翼運動内での否定的な事象を「理論」面の拡充・展開で解決していけると考えるのは、「知識人」の傲慢ではないかと思うようになりました。

選挙は、民衆が政治に参加するための唯一の活動形態ではありません。しかし、制度上の権力機構に直結する有意なチャンスです。その政党支援の活動に、公明党を応援する学会員ほど真剣に取り組んでいる人間集団はありません。そのことを揶揄したり軽侮したりする人は、「本気」で政治を変えようと闘ったことがない人だ、と断じます。共産党の党員諸君の闘いを軽んじるわけではないけれど、因習深い保守の地盤に、岩盤に爪を立てるように穴を穿ち、民衆自身を政党選択の主体に変革し続けてきたのは他ならぬ学会員です。幹部の号令に盲目的に従う無知蒙昧な運動員では、外部の支持を獲得できません。各人が各様に、語れる力の限り政策を理解し訴えを広げているのです。文字通り「ひとりひとり」の闘いになっているのが、他の政党とは決定的に違います。

私はそれを目の当たりにしてきたし、またその渦中にともに在りました。政治的異論を抱えつつも、同志のたたかいを尊いものと思いました。
自分の投票行動だけでなく、はじめて他人に公明党への支持を求めたのは、宗門と決別したあとの参議院選です。戦前の権力弾圧に屈した過去を糊塗し、権威主義に腐れきって学会を破門した宗門が、かえって私をはじめての公明党支援に踏み切らせたのです。その意味では支援への転換は、決して政治の論理の内側ではなかったけれど、これを機縁に公明党の政策・理念を積極的に受け止める努力をするようになりました。私にとって自衛隊の非武装PKO派遣は、この時点で許容できるぎりぎりの選択だったのです。いったん定型的な左派思考の枠組みを外そうとしたことは、今でも自分にとっては有益だったと思っています。支配階級〜被支配階級の二項対立から抜けて「陣営」の彼我によることなく、自由に政策の評価をしてみようとする姿勢も身につけられたのかなと。
しかし、思えば公明党支援のための私自身のたたかいの頂点は、細川政権の成立あたりまでだったかもしれません。

自さ社政権を経て、自自公、自公保と、政権与党に組するようになって、私の内部でなんとか政治の論理で自立した公明党支持を構築していくパトスは失速していきました。政権交代をめざす野党の立場でなく、長らく対抗してきた保守勢力との連立はどうしても野合としてしか捉えられません。いや、連立一般を否定するものではありませんが、連立維持のために従前の平和主義その他の公明党の屹立した主張を言わなくなってしまった、と。いったいなぜ?

そして1999年。周辺事態法、盗聴法などもありましたが、私にとっては「国旗・国歌法」が深く刻印されています。
そのころ職場の仕事が気が狂うほど忙しく、テレビのニュースも新聞の記事もほとんど見る余裕もありませんでした。学会の会合にも出れませんから、組織のなかで個人としての意見を伝えることもできませんでした。イラク開戦のときほど悔しい思いをしたことはありませんが、あの時は自分が何も行動できないままに、あっという間に決められてしまったことが非常に辛い悔しさでした。

そう、辛かった。辛かったし、あの法律は今でも辛い思いを私に突きつけています。イラク開戦を容認した公明党の態度とともに。
いかに「善意」であろうとも、今もじっさいに人の心を踏みにじりつつあり、またイラクの地においては戦火で人の命を奪った結果責任を、公明党を支援した私たちは負っています。

愚直なたたかいを日々たたかう同志の足を引っ張ることはしたくない。自分の言葉が同志のたたかいの勢いを削ぐことになってはならない。学会を悪意をもって攻撃しようとする勢力を利するような軽率な論は慎まなければならない。
そういう思いが、公然たる公明党批判を今日まで私に抑えさせてきたのでした。
でも、もう我慢できません。「共謀罪」をめぐる公明党の言説は、全く私を納得させてくれません。
ひょっとしたら私は間違っているのかもしれません。でも、そうだとしても自分の思いを誤魔化さず隠さず、明らかな言葉にすることによってしか、私は自分の誤りを正すことができないでしょう。もう、個人的に幹部をつかまえて疑問を述べるだけではすまないのです。よし私の言葉の刃がめぐり巡って、公明党支援をする同志に突き刺さろうと、政治の批判には政治の言葉で応えねばなりません。

「共謀罪」をめぐる公明党の姿勢について、かなり辛辣な批判を述べます。
いくつも溜めてきた批判を述べさせてもらいます。
真の庶民の味方に、公明党こそがなってほしいから。



at 15:33, 主義者Y, 公明党

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