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三里塚現地闘争本部の破壊

原爆の広島投下と同じ日に破壊するとは。
長く三里塚の闘争に関わってきた人の心に沸き立つものと比べれば、私の想いは甚だ薄ぺらなものに過ぎないし、去年の3月に1回こっきり行ってきた写真を貼るのがせいぜいだけど。

それはヒドかろうよ・・・というのは、この1年の速すぎる変化を見て。
写真でデモ隊が歩いている「団結街道」も封鎖されたり、市東さんが自宅から畑までアクセスするのを著しく邪魔するという嫌がらせもしている。それどころか、その他etc・・・
現闘本部は1967年に建てられたものとニュースで読んだけれども、現地でもっと教えてもらえばよかったなあ。





at 20:55, 主義者Y, 三里塚

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かけつけられないけど せめて

三里塚など意識にもない私の身の回りの人々にもお知らせします。 

市東さんが逮捕された!明日早朝までに三里塚現地にかけつけよう!(ブログ旗旗)

3・28の三里塚現地総決起集会に行った記事を少しだけ書いたけど、草加さんの案内で市東さんにも一言だけご挨拶させていただきました。物静かで温和な感じのする方でした。自分の会ったその人が逮捕されるなんて!

日本のケーサツを素朴に信頼される人は、「逮捕」されるような人間はたぶん悪いやつに違いないなどと思われるでしょう。私はデモの出発前に親しく話をした人が途中で連行されてしまったという経験をしたり、機動隊に囲まれボコボコに殴られてなんとか集会場まで逃れられたものの、鼻血を押さえてベンチにうずくまっていた人を見たことがあります。イラク反戦のデモのときは、ほんの数メートル前を歩いていた人がいきなりゴボウ抜きにされて連れていかれてしまいました。べつに隣を歩いていた機動隊を小突いて挑発したりとか、何か違法行為をしたとかいうことは全然ありません。本当に何もしないのに連れていかれるのです。まるでそういうデモに参加すること自体が罪であるかのように。
私はそんな風景を実際に見ているので、こういう運動の現場でケーサツのやることを信用していません。



「団結街道」を抜けたところの市東さんの農地。
・・・たぶん (はじめて行ったので自信がない・・汗)
毎日仕事に行く道をいきなり勝手に通行止めにされて、数キロメートルも迂回していかなければならなくなったら、そりゃ怒るでしょう?



あとから来て、ひとの土地を奪った側が、それに抗う人を貶め、罪人扱いにする。
沖縄の基地反対でたたかう人々ともダブって、ほんとうに怒りが沸いてきます。

今年3月の集会で反対同盟農民の鈴木加代子さんは、私に向かって「全員が座り込む部隊だけじゃなくて、それを外から見守る人たち、空港会社や警察が何をするのか、それを見届けてくれるような人たちも来てほしいんだ」とおっしゃっておられました。

と、草加さんは書いているのですが、私もその場で鈴木さんの言葉を聞いているんです。
・・・ていうか私のほうを見ながら話されていたような気がする。ううう・・・
・・・ていうか上海行ったときも成田空港使ってるじゃん!ううう・・・

沖縄でも三里塚でもどこでもそうだけど、いろんな「現場」に足を運ぶといろんなことが心に引っかかってきて平穏ではいられなくなるなあ。それでも行ってしまうのだけど。

at 20:24, 主義者Y, 三里塚

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はじめて行ったよ三里塚

 「エイプリルフールだけど本当の話だよーん」と、昨日書くつもりだったのに爆睡してしまいました(笑)
詳しい報告をしようと気張ると、つい筆不精でそのまま書かずにしてしまいそうなので、いくつか写真をのせておきます。草加さんのおかげでいつかは行ってみたいと思っていた三里塚へ、やっと足を運ぶ機会をもてました。どうもありがとうございます。




集会がはじまったのは正午から。会場に到着したのは11時で、デモが出発したのは3時でしたので、つごう4時間ほど寒風に晒されておりました。いままで参加した集会のなかで、いちばん気合を要した集会でした。ひぃいい




「第3誘導路」がつくられると、農業を営んでいる市東さんの住まいが、グルリと空港のエリアに囲まれてしまうそうな・・・恥ずかしながら三里塚の現況について何も知らずにいた私なのでした。



「団結街道」を歩く。今でも農地を守りとおしている市東さんの居宅と農地を結ぶ道でもあります。
成田市はこの生活道路を潰そうとしているらしい。カベの向こう側は滑走路です。ほんとうにすぐ側をジャンボジェット機が飛んでいきます。




デモ行進の解散後、機動隊とすれ違う。

20年以上も成田空港を利用してきた私ですが、今回はじめて空港施設の外を歩いてみたのでした。いろんなものが胸の中を渦巻いて忘れられない一日となりました。

at 22:59, 主義者Y, 三里塚

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「管制塔元被告連帯基金運動 4ヶ月の記録」

ちょっと遅くなりましたが宣伝です。



まことに光栄なことながら、我が「つぶやき手帳」のエントリーも掲載させてもらっています。どこに書いてあるかは、目を皿のようにして読んでね(笑)
ただ、残念ながら急いで刊行したものらしく、99ページの「『あおざかなの買い物日記』より」は、『つぶやき手帳』の間違いです(涙)

書籍の内容・購入方法は以下のとおり。
続きを読む >>

at 10:04, 主義者Y, 三里塚

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「暴力」について〜四トロ掲示板への投稿

もっぱらのROM者ですが、私がよく訪れるところに「四トロ同窓会二次会」という掲示板があります。猛者の多いところなので、書き込みには敷居の高さを感じてしまうのですが、書いちまいました(笑)

直には管制塔被告連帯サイトに掲載された「管制塔占拠闘争は暴力行動か」をめぐって考えたことを書いたものです。
続きを読む >>

at 15:39, 主義者Y, 三里塚

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ネット知人にリアルで会うこと

先日「11.11管制塔被告連帯基金大勝利報告集会」に行ってきました。
詳細は連帯サイトのほうに紹介されています。私なんかが報告するよりは、当日の熱気と息吹は充分に伝わりますので、ぜひご覧ください。

別に気にしなくてもいいんだが」のkamakazuさんも会場あいさつに立ち、お顔を拝しました(kamakazuさんのあいさつ文)。ブログを始めてから1年半、あるいはそれ以前の掲示板時代から、ネット上で継続的に言葉をかわす人が何人もできましたが、実際にお会いしたのは、はじめてのことです。ほんとうは集会が終わってからコソッと帰るつもりでしたが、「旗旗」の草加さんに声をかけたら「二次会がありますから」と、帰るに帰れなくなりました(^^;) はるばる遠方から駆けつけ来た人々がいるのに、地元の人間がさっさと引き揚げるわけにもいかず。

・・・ここまで書いて「別に気にしなくていいんだが」の報告記事を目にしました。私よりはるかに熱いテンションの高さに脱帽するしかありません。
飲み会の席でも、かつての運動を牽引した人々、ネット上の錚々たるメンバーを目に前にして縮こまってしまいまいました。もっといろいろお話がしたかったのに、シャイな性格が邪魔してしまって・・もったいない。
心身ともに本調子でないこともありましたが、ケツの穴の小さい人間です(汗) 会場入り口前に貼り付いている公安を見て、「また来ているな」と見やる程度の耐性は身に付けているつもりですが(それでも『一般ピープル』の感覚とはかけ離れているかもしれません・・笑)。

私はたまたま今年のはじめに交通事故で足を骨折し、二度の手術、三度の入院を経て、職場復帰後にすぐ鬱で病休に入るという何ヶ月かを過ごしてきたので、ネットに向き合う時間が多くなりました。おかげでブログを中心に、すばらしい文章に接する機会を数多くもつことができました。これはネットの可能性を考えるうえで大きなことだったと思います。
集会でも、管制塔当時の戦術立案者だった和多田さんの、インターネットなんか信用できないと思っていたけど、あれよあれよと言う間にカンパが集まってしまった、という発言がありました。嬉しい誤算ということですけど、気持ちも半分わかります。
「情報」を伝えるのにこれほど強力な武器はない、と同時に、言葉で「心」を伝えることの難しさをネットは背負っています。この度のカンパ闘争の勝利は、モニターの前に座っているだけで克ち得たものではありません。
当たり前のような結論ですが、ネットを侮らず、さりとてネットを過信もせず、といったところでしょうか。対権力という広い文脈で言えば、旧来のメディアや組織的集中という面で情報の流通では不利だった環境が、相対的に反権力側にとって有利に変化しているのではないか、と思います。
人との繋がりという面から言っても、ハンドルネームだけの知人というだけでなく、リアルで顔も見て肉声や物腰を知ることが、その人の背後にある膨大な世界に接する端緒になり得ます。

声を詰まらせ、沈黙する時間が伝播する思いの深さ・・これは文字のコトバでは伝えようがありません。


ブログは(特に政治関連のものは)、意見言いたがりの人種にとっては格好のツールです。言葉だけで人を唸らせる力量をもった方も大勢います。
しかし、顔を合わせる機会があるのにキーボードだけを叩いているのなら、それはペンひとつで人を自在に動かせるのだ、という傲慢さに通じてしまうのではないでしょうか。ネット上で顔が見えないから、相手に無礼なことを平気で書ける、という荒廃にも通底しているように思います。リアル世界で言えない言葉づかいを、ネット世界でも書くべきではありません。ネット言論の自由と平等は、相手の社会的地位と肩書きを忖度しないだけのこと。顔の見えない相手に対しては、なおさら気遣いをするべきです。僅かなやりとりのなかで見えてきた、相手の背負ってきた経験と人生を足蹴にしないことです。

もっと足を運ぼう。もっと人に会おう。肉声のもつ力をバカにしてはいけない。

(追記)
9.18集会の報告で書いたのだけど、今回の最後に「インターナショナル」を歌えたのは嬉しかったです。涙がでるほど。
たぶん、これが党派と世代を超えて歌える歌だから・・

at 12:18, 主義者Y, 三里塚

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「三里塚」とは私にとって何なのか

1ヶ月以上もほったらかしたあとの、久しぶりの投稿。「何もする気がおきない」期間もけっこう長すぎたか・・・

このブログでもしばらく書いてきた「管制塔被告連帯基金」の訴えも実を結び、ついに目標額に到達した。とても嬉しい、素直に喜びたい。

それは驚くべきこと。そして当然のこと。
こんなことを現地の運動に関わりもしなかった人間が言ってしまうと、傲慢の謗りを免れないかもしれない。しかし・・

様々な党派関係による違いがあったとはいえ、三里塚闘争は新左翼運動のひとつの象徴だった。(過去形で語るな!という批判はとりあえずご容赦いただきたい・・)私にはそう見えた。その「新」左翼運動が昔日の面影を失ってから、すでに久しい。
現在に至る直系の水流を大きく創り得なかった、その事実は厳しく見つめなければならないだろう。運動は「状勢の変化」などによって、その水位を安易に回復などしない。

私はかつて、たまたまその周辺に逢着してしまった。夢を見た。だから「痛み」なしに、その歴史を語ることも、忘れることもできない。
1億円を超えるカンパを寄せた人々は、その中核は、多かれ少なかれそういう思いを抱えた人々ではないだろうか。その「過去」に泥を塗るような攻撃が、その事実が広く伝わっていくならば、必ず1億円は突破するだろう。「当然」と不遜にも表現したのは、そういう思いからだ。だが、「驚き」という喜びも大切にしたい。忘れえぬ思いを、かくも多くの人々が今も保ち続けていることを。

昨今の状況で、ブログに書いてもいいテーマや分野はいくらでもある。なのに、どうしてこうまで「三里塚」にこだわる? そう疑問に思われる人は多いはずだ。ましてや闘争に直接係わりのなかった人間が。
どなたかが某掲示板で、この度のカンパに応えることは「自分の魂のありかを宣言すること」と書いておられたと思う。おそらくその通りだ。私も「泥」を塗られたのだ。

だが、これを「すべての」人々が知るべき歴史だとまでは、私は思わない。人は行き逢った環境によって、それぞれの志と行程を刻む。その深浅を、特定の高所から見渡せるはずはない。沈黙と忘却の彼方に消し去ってならない経験は、中心を持たない。
ともかくも「防衛戦」には勝利した。もし私たちが未来に向かって、この社会の地殻を揺るがすような広がりをさらに求めるならば、もっと他者と出会う必要がある。その意味で1億円は、決して大きな数字ではない。
私たちの志や誇りは特権ではなく、それは同じように、私たちの知らざる場所で険しい道を拓いてきた人々との通路である。

それが実現できたときに、私は新左翼運動を「忘れる」ことができるだろう。



at 14:08, 主義者Y, 三里塚

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管制塔戦士救援カンパのお願い

(10月9日付で追記をしました)
何の得にもならんのに成田空港の管制塔に突入し、6〜12年間も獄中で暮らしたあとは1億円の賠償金を請求されている偉大な「大馬鹿もの」たちを支援するカンパです。

郵便振替口座 「管制塔被告連帯基金」00130-3-445762

彼らは給与の1/4を差し押さえられ続けます。時期を失すると、支払額が「利子」でどんどん膨らんでいきます。私は三里塚闘争に加わらなかったし、実力闘争を必ずしも是とするものではありません。しかし、それにもかかわらず彼らを見捨てることはできません。小才ぶった利口者であるよりは、愚直な馬鹿者のほうが最終的に世界を変えうると信じるからです。
「三里塚って何?」という方も、ぜひその闘争の歴史を知ってください。そして、その闘争の歴史が無にならないよう、ぜひカンパに協力してください。
三里塚闘争への請求書(7月16日エントリー)

(7月23日追記)
管制塔戦士を救援するためのサイトができました。こちらには被告団、元支援党派の声明なども掲載されています。情報交換等に活用してください。
また、JUGEMは未来の日付で先頭に表示しつづけるという技が使えないので、ときどき新しい日付でアップします。最初の投稿は7月18日です。

元画像<菅孝行/貝原浩著「全学連」>より

(9月20日:「三里塚管制塔占拠闘争元被告への損害賠償請求執行に抗議する」集会

(10月9日追記)
9月末でカンパ総計(被告団+連帯基金+党派関係など)が7800万円を突破したそうです。カンパ額は加速度的に増大しています。11月初旬に国にまとめてたたきつけるために、いったん10月20日に集約をします。

詳しくは
管制塔被告連帯基金
旗旗

「4ヶ月で1億円」の驚くべきカンパが実現しようとしています。
ラストスパートを!



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at 06:43, 主義者Y, 三里塚

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「三里塚管制塔占拠闘争元被告への損害賠償請求執行に抗議する」集会

中山千夏
(写真:あいさつに立つ中山千夏さん)

長い地下鉄の階段を杖をつきつき足を引きずるように昇っていくと、会場の文京区民センターはすぐ目の前にありました。なんとなく周囲の風景に記憶があるのは、村岡到さんのグループに関わっていたときに、たしか同センターで「フェミニズム」の勉強会に参加したことがあるからです。10数人くらいのこじんまりとした学習会でした。なぜか宇野経済学派の降旗節雄さんが私の隣に座っていたことを記憶してます。
イラク反戦がらみの催しを除けば、左派系の集会に出るのはおそらく数年ぶりでしょう。10年以上はたっているかもしれません。
開場時間の午後1時ごろに到着したのですが、既に受付近辺は人でごった返しておりました。そこここで、「ひさしぶり!」という挨拶がかわされています。三里塚に接点のなかった私としては、知己に出会うはずもなく・・・と寂しく思っていたら職場の人をひとり見かけました。そういえば管制塔被告の話をしていたんだっけ。忘れていた(笑) 私なんかより現役世代のその人が来るのがあたりまえだったんだよな、と苦笑い。会場アナウンスで「青森からも参加者が」と言っていたのは、あれはkamakazuさんたちのことだったのでしょうか・・・



(写真:物品販売のコーナー。DVD「大義の春」「抵抗の大地」も売られてましたよ)

参加人数としては机+イスの定員252人がほぼいっぱいとなりましたから、200人はまちがいないでしょう。うしろの入り口付近には急遽、机なしのイスを並べていましたので、主催者の見込みを遥かに超える人々が集ったのはたしかです。
吉川勇一さん、鎌田慧さん、中山千夏さん、樋口篤三さんなど、私にとっても馴染みのある名前の人々から連帯のアピールがありました。おもだった人々の発言内容については、こちらをご参照ください。
吉川さんの挨拶全文は個人ホームページhttp://www.jca.apc.org/~yyoffice/のNEWS欄133番記事で読めます。
鎌田慧さんの肉声を聞いたのは初めてだったのですが、なにかの本で見たとおり演説は決して上手とは言えない口調(スミマセン)でした。でも、

「果敢に戦ったものが損をするというのは正義に反する。
すでにかなりの額があつまっているということは支持があるということ。
果敢に戦ったものは支える、後に続くモノに果敢に戦ったものは報われるということ(=正義)をしめそう」

という訴えは心に響きました。
中山さんの「戦士というコトバは使いたくない」という感覚は、私にもあります。三里塚闘争の個々の戦術展開にも、おそらく異論を持つだろう私です。
それでもなおかつ今回のカンパの呼びかけに応えようと思ったのは、「大馬鹿もの」を見殺しにするな、の一点につきます。もともとは草加さんの「旗旗」で書かれていたフレーズがいたく気に入って、自分のブログでも口真似させてもらっていたのですが。

そこでなんと、被告団事務局の中川さんから、「大馬鹿ものと言われて嬉しかった」という言葉を壇上からはしなくも聞いたときは、とてもウレシかったのでございます(泣)

共通の歴史的経験は、それだけで暗黙の絆を結びます。私の場合、それがありません。当時の参加者や三里塚の息吹を吸った人々の間には、私の思い及ばぬ、忘れえぬ気持ちがあるでしょう。羨ましいとも思います。しかし、それを懐古ではなく、未来や、ある普遍性につなげていくためには、もっと「なぜ自分は三里塚へ行ったのか」という原点の思いを訊きたかったと思います。

集会の最後は応援歌の合唱でした。四トロ掲示板で準備のようすは知っていたし、運営に携わらなかった人間が言うのも恐縮ですが、やはりこういうことは事前の仕込がかなり必要だと思います。無責任な言い方で本当に申し訳ありません。私はなんとか手拍子と口パクで唱和しておりました。

おそらくあの日の集会には、昔の闘争から召還してしまって、ほんとうに久しぶりに集ってきた人々も少なくないのではないでしょうか。
そういう人々が事前に練習することなく歌える歌・・・

「インターナショナル」

なら最初から提案しろよ、というのは至極もっとなことで、私自身が思いついたのは昨晩のことでした(汗)
外国旅行が好きで(つまり成田空港を何回も利用している)、キューバのメーデーを見に行ったことがあります。その式典の最後は「インターナショナル」の合唱でした。連合軍といっしょにパリへ帰還するときのロバート・キャパじゃないけれど、おもわずビデオカメラのファインダーを涙で濡らしてしまったことを憶えています。

インターを歌うなんてアナクロだ、なんて揶揄する人もいるでしょう。でも忘れられない思いならば、いったん開き直って自分の来た途を思い起こすのもいいんじゃないですか。
古い世代には忘れた情熱を。新しい世代には歴史の継承を。

「インターナショナル」は全ての左翼を結びつける歌です。

いまは、それが必要ではないですか。
メット2
(追記)
大切なことを書き忘れた(笑)
カンパ目標額まで、あと4000万円弱!
勝てる闘いです。
ほんとうに勝てる闘いを、ここから始めるのです。


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at 10:48, 主義者Y, 三里塚

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9.18集会参加してきました

「三里塚管制塔占拠闘争元被告への損害賠償請求執行に抗議する」集会に参加してまいりました。参加者は200人。
詳細は写真つきで明日書きます。さっき帰ってきたばかりなので今夜は寝ます。

at 23:03, 主義者Y, 三里塚

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