日本国憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
選挙戦への力学が必然的に引き起こした党派の再編成だろう。
石原・橋下一派には与し得ない、「第三極」の残余部分が結集しつつある。(「みんなの党」はその新自由主義イデオロギーがわかりづらくなってしまう「維新」との合流には難色を示しているようだ。)「脱原発・反TPP・消費税凍結」それ自体は左翼勢力の専売政策メニューではなく、保守勢力の枠組みで追求されても全くおかしくはない。本気度の濃淡はあれど、「大同」として纏まる政策の柱であることには間違いない。
基本的は好感をもって受け止めたいが・・・
沖縄の基地問題を訴えるのは「票」にならないせいか誰も言わない、という日本社会の貧しさは相変わらず索漠たるものを感じる。
もうちょっと「暴力装置」発言について
前エントリーのコメントで教えていただいたブログ記事、非常に参考になりました。
改めて仙谷発言を擁護する(inti-solのブログ)
そもそもは航空自衛隊入間基地の航空祭祝賀会で、自衛隊協力団体の来賓が「一刻も早く管政権をぶっつぶせ」という挨拶をしたことが発端で、防衛事務次官通達「隊員の政治的中立性の確保について」というものが発出されたのですね。それに対して表現の自由を不当に縛るものとして世耕議員が噛み付いた。
・・・いやあ、軍隊(私は官房長官でないので、はっきり言いますが)の行事で、現政権を倒せという挨拶をするっていうのは、それはいくらなんでもイカンでしょう。それをたしなめるのは当然ではないですか。世耕議員は軍隊にクーデターをそそのかす行為も政府が認めるべきだというのでしょうか。そういう脈絡のなかで出てきた「暴力装置」という言葉でした。
クーデターなんて可能性の少ない絵空事のように思われるけど、イラクでは文民統制を無視して「駆けつけ戦闘」をするつもりだった現場指揮官がいましたね。
「(陸自の警護に当たっていたオランダ軍が攻撃されれば)情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる。巻き込まれない限りは(武器使用が可能な)正当防衛、緊急避難の状況はつくり出せない」
いまは参議院議員になっているヒゲの隊長さんです。ツイッターに
マックス・ウェーバーによる「暴力装置」とは「軍隊・警察は国家権力の暴力装置である。国家から権力奪還するためには社会の中に新たな暴力が組織化されなければならない」と暴力革命を是とし、国家は悪であるとの認識では?仙谷官房長官がこの考えであれば、マルクス主義から脱却していないの?
と書いて、マックス・ウェーバーの「暴力装置」という概念を用いることが、あたかも国家=悪と認識し、暴力革命を是認し、マルクス主義と等価であるかのごとく言ってしまいました。さっそく2chあたりでは
マックスウェーバーがマルクス主義者なのは常識。
暴力装置というマルクス主義用語を使った仙石はやめろ。
自衛隊出身で軍事の専門家である佐藤参院議員が
暴力装置という概念を作ったマックスウェーバーがマルクス主義であることを証明している。
なんて好意的に紹介されてしまっています。身も寒くなるような「常識」ですが。佐藤議員はすぐ誰かに誤りを指摘されて恥ずかしいと思ったのでしょう。ツイッターの当該発言を消してしまって今は読めません。
より正確に言えば、ウェーバーでは「国家による暴力の独占」というような表現で、かっちりとした概念コトバではなく、仙谷氏の「暴力装置」というコトバは元フロント活動家のレーニン的教養から出てきたものでしょう。それでもマルクス主義の用語を官房長官が使うことが怪しからんことなのでしょうか。一個の政治家として「あなたの政治信条の他の部分と、どういう整合性があるのだ」と詰めることはできるでしょうが、そのコトバを使うこと自体を怪しからんというのは「思想」を裁くことです。ウェーバーのは学術用語だけどレーニンのは学術用語ではないのでしょうか。なんだか「左翼」だったら話にならないものとして排斥してもいい、という空気になっていませんか。
教養の無さを意地悪く馬鹿にしたくはないけれど、その無知を自覚せず、自衛隊の皆さんに失礼だ、謝罪しろ、と嵩にかかって責めるのはあまりに知性の退廃を感じてゲンナリしてしまいます(すぐに謝るほうも学問的知性を守ろうとする気概が無い)。戦前の天皇機関説攻撃の「畏れ多くも陛下を『機関』とはなにごとだ!」というまことに愚かな糾弾を思い起こさせます。そういう歴史上の経験を思うと、国会内の議論の水準が落ちていくことにもっと警戒せねばならないのかもしれません。
やや下品な表題をつけてしまいしたが、あまりに程度が低い知性に対しては怒らなければいかんと思うのです。
社会人は仕事や家庭で疲れてなかなか読めないかもしれないけど、学生だったら『職業としての政治』くらいは読みなさいよ。文庫本で100ページちょっとしかないんだから。
ひと昔前の左翼運動家なら「軍隊と警察は階級抑圧の暴力装置」という言い方を普通にしていたのではなかったかなあ。ゲバルト(物理的暴力)を行使して国家の既成秩序を維持するという意味での「装置」なのですが。学術的な概念は語感にある種冷淡な響きをもつ場合が多いので、使う場面に気をつけるべきなのかもしれません。オリジナルの概念がマルクスなのかウェーバーなのか、不勉強で未だにわきまえておりませんが・・・
どちらの教養から口をついて出た言葉かわからないけれど、政治家の発言としては無用意だったのかもしれません。追及する側としては無教養なのか、はたまた知っていて攻撃ネタとして活用しているのか・・・両方かな。
法相の発言は論外。
(追記)
ウェーバーがもとで、レーニンが国家論で援用したもののようですなあ。なんとなく思い出した。
仙谷氏はフロント(社会主義学生戦線)の出身だったですな。 はぁ
◆参議院予算委員会 平成17年10月5日議事録
○山谷えり子君
自由民主党、山谷えり子でございます。新憲法制定を望む声が国民の過半数となっております。国の最高法規ではありますが、前文は、日本、言霊幸う国日本の命が感じられるようなものであってほしいと思います。小学生が朗々と暗唱できるような、また女たちが台所で大根を刻みながらもふっと口ずさんでしまうような、そのような前文を望みます。
私、試みの案を書いてみました。
「四季のめぐり、恵みあふれる大八洲、豊葦原瑞穂の国に生まれ育ったわたくしたち日本国民は、睦み和らぎ、徳を高め、勤め励んで、平和の国、文化の国、道義の国として歩んできました。美しい日本の国がらを誇り、喜びとして、これからも正直、親切、勤勉、節度、品位、調和、献身、進取の気性をもって、諸国民との協和の中で輝く自由と民主主義の国として歩みます。長い歴史と伝統、家族の絆の中で、豊かに育まれたわたくしたちは、一人一人に与えられた賜物に感謝し、法にしたがい、国を富ませ、心を世界に開いた政治、経済、外交を展開し、尊い生甲斐を互いに尊重する社会をつくります。人類の恒久平和、自然との共生に心を一つにして国際社会の中で名誉ある国づくりにつとめます。愛と一致と希望の中で、力をつくし、誠をつくし、明き清き理想に向かって進んでいくことを誓います。」というものなんですが、明治時代は様々な方々が起草案を出されました。国民各位の具体的な議論の高まりを願うものでございます。
現憲法の前文は、平和を願う諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意したという文章がございます。いかにもよさそうでございますが、これほどよく考えてみると非現実的な前文もないわけでございまして、この前文が正しいものであるならば北朝鮮の拉致問題も起こらないわけでございます。
*以下略