きのうは涼しかったこともあり、久々に都心に出て映画を見てきました。
これはすごい作品です。
http://taiyo-movie.com/
おぼろに記憶の隅にひっかかっていたのを知人との電話で思い出し、予定になかったのにエイヤッとその日の決意で見に行ったのでした。
どうせマイナーな映画だからそう混んではいないだろうと、高をくくっていたらとんでもない。座って見れるのは次の次の回だと言われて、2時間以上も付近で時間を潰さざるを得なかったのです。上映場所を2箇所に時間をずらして客をさばいていたようですが、それほどの盛況振りでした。
昭和天皇の姿を、ひとりの人間としてこれほど赤裸々に描こうとした作品は稀有ではないでしょうか。ソクーロフという名を私は知らなかったのですが、ロシア人の監督によってこれほどのリアルを感じさせる天皇を見せられたことに驚きました。
イッセー尾形の演技が見事です。我々はみな、ヒロヒト天皇を知っています。総理大臣をやった何某を知らなくても、少なくとも同時代を生きた年代で彼を知らない人はいません。それほどの超有名人ですが、彼のふざけて笑った顔とか、泣いた表情とか怒った姿を、一般国民の誰も見たことはありません。そういうしぐさを想像するのも困難なくらい、謎の人物なのです。それが日本の皇帝の万邦無比(笑)な特異性であると私は思ってますが。
東京都心の地図にポッカリと空いた無の空間。これが天皇制です。
だから知りえない細部は想像で創りあげるしかありません。イッセー尾形の天皇は、私たちが断片的に持っている彼のイメージを延長し、交差してみたらこのようなものだ、と思わせる点で非常に見事で素晴らしいと思いました。
それだけ素晴らしい演技なので、見ていて疲れます。人間であるのに人間であってはならない「現人神」の挙動は、すべてがぎこちなく息苦しいのです。全編にわたって天皇が動き回るので、作品は2時間という短さにかかわらず、私には3〜4時間ほどにも感じられました。神経症の人間の振る舞いをずっと見させられていると言ったら想像できるでしょうか。
笑いもあります。それも、天皇の周囲だったらきっとこうだったんだろうなと思わせる。極度の緊張感のうえで滑る可笑しさ滑稽さが、よく表現されています。
額を汗で滲ます重臣、侍従と、「あ、そう」の天皇。
特別に秀でた人間性を持っていたわけでもなく、特別に愚鈍でも悪意を持っていた人間でもなかった。昭和天皇はただ、凡庸な人であったと思います。映画のラストで、「人間宣言」を録音した技師が自決したという報告を受ける天皇の重い沈黙。だがそれまでにも、その名の下に何百、何千万もの人間が殺されていきました。彼はその重みをどう受け止めたのか。受け止めなかったのか。そのことは倦まず問いかけなければなりますまい。
生身の人間が「神」であらねばならなかった明治以降の国家神話が、三代目の彼にのしかかってきたと思います。絶えず口をパクパクさせて、なお言葉を発しえぬ痛ましさは、「神」になり得ぬ人間の行き着く姿。その人間を神聖なる中心に据えた帝国の崩壊は、必然だったのではないか、と。
そんなことをふと考えました。
セットや小道具も気合を入れて作り込んであります。映像も美しいですが、これだけでも素晴らしい。戦後60年もたっている日本映画でこれができなかったのか。それも天皇制ゆえか。
そういうことにも思いを至らせるんですね。
天皇制を考える人は見るべし。考えてない人は見て考えるべし。