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「ザマナイ」CDいただきました

ザマナイ〜時代よ!〜 (日本語版)

こちらのCDを作成されたTOMOKOさんからいただきました。ご本人にはお会いできなかったのですが、コンサートに赴いた知人を介していただきました。今月はじめには受け取っていたのに、仕事の忙しさにまぎれてお礼の言葉を述べないまま今日に至ってしまいました。TOMOKOさん、ありがとうございました。

(重大な訂正)
私の知人がコンサート会場で買ったものに、TOMOKOさんのサインを求めたものでした。・・ったく、受け渡すときに、ちゃんと説明せんかい!>知人
あっはっは、恥かいた(笑)

なので皆さん買ってください。





ということで、ふたたび宣伝。みなさん、ぜひ買ってください。




きょうは地元で平和イベントに参加。
5、6人ずつのグループに分かれて対話という形式でした。全体で30人ほどはいたでしょうか。

藤波心さんもいらっしゃいました。
キチンとした話のできる、いい娘さんでしたよ。
ゴメンナサイ こっちのCDは買わなかった(笑)

at 20:32, 主義者Y, 原爆

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ザマナイ〜時代よ!〜 (日本語版)



この歌を歌っていらっしゃるTOMOKOさんよりコメントをいただきました。
http://ichyamada.jugem.cc/?eid=969#comments

第五福竜丸が被曝した1954年以降、日本のあちこちで放射能雨さわぎが起きました。それはアメリカだけでなく、ソ連でもまた大気中の核実験を繰り返した結果でもあったのです。

おりしもビキニ水爆実験にかかる記事を続けて書いてきたタイミングでしたので、TOMOKOさんから「ザマナイ」についてのコメントをいただいたことにちょっと驚きました。こちらは旧ソ連の核実験場にされてきたカザフスタンが舞台なのですが、ここでもあちらでもどこでも、どうしてこんなにヒバクシャをつくりだしてしまうのか・・・と胸が詰まります。

「ひとの誇りよ いま いずこ」

TOMOKOさんの歌う日本語歌詞を、じっくりと噛み締めてください。
これは、どこの、誰の悲しみを歌ったものですか?・・・まるで今の日本の、私たち自身の苦しみでもあるのではないでしょうか。

このYouTube動画には森住卓さんが写真を提供してくれたとのこと。たいへん喜ばしいことです。ぜひ、この歌のすばらしさを広めてほしいと思います。

永遠の歌を求めて

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

at 22:50, 主義者Y, 原爆

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「第五福竜丸」

評価:
---
角川書店
¥ 3,480
(2001-07-10)

レンタルで観てみました。
むかし、これを学校で見ていた自分は眠っていたのか(苦笑)
それほど観終わったあと、怒りと悲しみの感情が渦巻きました。

「ストロンチウム90なんて、やっかいなものが身体の中に入っちゃあ、しょうがないね」
久保山愛吉さんを演じる宇野重吉がベッドのなかでつぶやきます。
たまらないです。

展示館で買った大石又七氏の本をいま読んでいるのですが、第五福竜丸の乗組員だった同氏もこの作品は事実経過に即してよく描いていると評しているようです。新藤兼人監督は丹念なインタビューを重ねてこの作品を撮ったのでした。

加害者の傲慢と無神経さ。そして50年代の日本が見えます。
久保山さんの遺骨を抱えて焼津に戻る妻(乙羽信子)と娘たちに、次々頭を下げて悼む人々が描かれるシーンが印象的でした。なぜそこまで執拗に弔意を示す人々を表現したのか・・・

年表的な知識ではこのあと、杉並区の女性たちが始める原水爆反対の署名運動が爆発的に広がっていきますが、そこにつながっていくんじゃないか、と想像しました。

思い起こさねばならない歴史です。私自身50年代というのは生まれる前でもあるし、敗戦と60年安保の間という、俯瞰した歴史としてもなかなかイメージが掴みきれない時代です。そして私に限らず、多くの人が忘れかけている時代ではないでしょうか。

また、脱原発をめざす人ならば観なければいけない作品、と敢えて言いましょう。はじめての原発予算がついたのが、この1954年という年なのです。核エネルギーの「平和利用」という考えは、ビキニ実験への怒りの記憶を封じ込めるという意図もあったのです。

at 21:13, 主義者Y, 原爆

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歴史は新しくなる

中学のときだったか高校のときだったか、第五福竜丸の映画を学年全員で観させられたことがある。宇野重吉が久保山愛吉さんの役で出ていた白黒の作品である。それは憶えているのだが、その後船が保存された現地に連れていかれたのかどうか記憶が定かではなかった。先日夢の島の展示館に行って、木造船の迫力に気圧された衝撃を思うとやはり初めての訪問だったのだろう。

福島原発の惨事以来、事故をめぐる経緯や原発政策をめぐる考察はもちろんのことだが、もっと広く放射能が人間に与えてきた惨禍を見まわしてみたくなった。先日地元の市民グループが企画した映画会に第五福竜丸展示館の学芸員の方が来て、その話を聞いたのが現地へ行って見てみようと思い立ったきっかけだった。

展示館は新木場の駅から歩いて10分くらいのところにある。船を覆うように建てられたドームの内側に当時の様子を伝える資料が並べられていた。それはきっと3・11の前に訪れていたら、核被害に対して鈍磨してしまった感覚にあるいは淡い印象しか印さなかったかもしれない。しかし「フクシマ」を経験し、その現実を現に背負い続ける今、悔恨にも似た痛みを覚える。



・・・放射能の急性障害で亡くなった久保山無線長を含めた第五福竜丸の乗組員たちは僅かな「見舞金」を受けたが、賠償としてそれを受け取ったわけではない。その後乗組員たちは既に半数以上がガンなどの病疾で亡くなっているが、追跡した健康診査を受けたわけでもなく被曝との連関を認められたわけでもない。だだ忘れ去られたのみだ。

被曝したのは第五福竜丸だけではない。太平洋上に散らばって漁をしていた数百の漁船が放射能に汚染された漁獲類を大量に廃棄せざるを得なくなった。それらの人々の健康に影響がなかったのか調査もされなかったし、被害に対する補償ももちろんなされなかった。

ビキニ環礁に住んでいた人々は「実験」のために強制移住をさせられた。理不尽な思惑によって生きる場所を奪われた人々。ここにも放射能のために命と健康を奪われながら、けっして償われない人々がいる。「恩恵」としての医療を受けながら、権利としてのそれは認められない。いまも水爆が炸裂した生まれ故郷に戻ることはできない。それは本当に酷いことではないかと、今さらになって思いが及ぶ・・・

「3月14日」で止まった日めくりのカレンダー
当時のいかつい格好をしたガイガーカウンター
「死の灰」を入れた小瓶の横には、検出された放射性元素の表がある
もはや馴染みになった名前が並ぶ 「ストロンチウム」 「テルル」 「ヨウ素」 「ネプツニウム」

身体の中で血が駆け巡る

ひととおりざっと館内を見回ってから、入口近くにあったボードをまじまじと見つめた。

『沈めてよいか、第五福竜丸』  武藤 宏一

第五福竜丸。

それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。
決して忘れてはいけないあかし。
知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。
今から14年前の3月1日。太平洋のビキニ環礁。
そこで何が起きたのかを。

そして沈痛な気持ちで告げよう。
いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗りつぶされ、船名も変えられ、
廃船としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接した15号埋立地に
やがて沈められようとしている。
だれもがこのあかしを忘れかけている間に。

第五福竜丸。
もう一度、私たちはこの船の名を告げあおう。
そして忘れかけている私たちのあかしを取りもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
いま、すぐに私たちは語り合おう。
このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして。
        (朝日新聞 1968年3月10日 「声」欄より)

これを読んだときもそうだったが、今思い出しても目が熱くなる。
ゴミの山のむこうに打ち捨てられた木造船の写真が、「あかし」を忘れ去ろうとする私を揺さぶる。私と私たちは、忘れるべきでないことを何度も忘れてきた。

平易な直截的なことばだが深く胸を穿つ。無名の詩人の声が、かつてたしかに多くの人々の心を揺るがした。「声」を聴いた者は、他の人間にその「声」を伝える務めがある。

忘れないためには、意志と力が要るのだ。

at 14:46, 主義者Y, 原爆

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原爆を感じる



広島の平和記念公園から歩いてさほど遠くない場所に旧日本銀行広島支店の建物があります。
5月連休の西日本の旅は、広島がスタートでした。広島に来るたびに平和記念資料館には立ち寄っていましたが、その周辺の原爆遺構を訪れる機会はなかなかありませんでした。これは現在もなお残る被爆当時の数少ない建物のひとつです。内部を見学することもできます。

その場所を訪れて、あらたに発見することがあります。ここもそうでした。
「あの時」このビルの1、2階は鎧戸がおろされていて、爆心地から380mという至近にありながらほとんど被害はなかったそうです。しかし3階は、まともに原爆の熱線と衝撃波を受けて、その場にいた人は命を失いました。




爆風の通り抜ける通路にいた女性行員は、ビルの裏側の窓を突き破って転落し亡くなったそうです。




その場所は今もあるのです。
広島に行く機会のある人は、ここに佇んでみてください。

at 22:41, 主義者Y, 原爆

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ザマナイ(時代)

たくさんの人に知ってほしい、聴いてほしい歌があります。
その美しさを知るためには聴いてもらうしかありません。いろいろと検索などして探してみましたが、どこにもその旋律を聴ける先が見つけられませんでした。それで敢えて、お叱りを覚悟の上で自分でYouTubeにアップしました。しばらくしたら削除します。
一昨年の8月、たまたまPCで録画環境のあるときに視聴していたので、咄嗟に録ったものです。



男たちの逞しさよ どこへ
女たちの美しさよ どこへ
優しき心を欲する この時代
時代 時代
悲しいかな 清らかなる故郷は汚された
あわれなり わが祖国
あわれなり わが大地
奪われ 苦しめられた
かつての自由は奪われ
悲しみに代わった
大地は核の閃光に
目を開けられないのだろう

先祖の眠る地は壊され
悲しみの結末を見せつけられ
豊かな生活を奪われた この時代
時代 時代
カザフの民よ
身を休める地はどこにあるのだ
あわれなり わが祖国
あわれなり わが大地
奪われ 苦しめられた
かつての自由は奪われ
悲しみに代わった
大地は核の閃光に
目を開けられないのだろう

泉から毒を飲まされているのは なぜだ
子どもたちを失うのは なぜだ
故郷が愚弄された この時代
時代 時代
恥をさらしながらも
隠れずにいるのは なぜだ
       ・
       ・
       ・

いま、しみじみと深く心を打ち、魂を揺さぶる力を持つ歌ではないでしょうか。
あえて、ここでは多くを書きません。私たちの現実が近づいてしまったのです。

調べたら、やはりこの放送で衝撃的ともいえる感銘を受けて、自分で歌ってCDにしてしまった人がいたのですね。 

永遠の歌を求めて

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

価格   1枚 1000円 
購入方法 
1、会員による手渡し
2、郵便振替 口座記号番号 1360−5−60273
  加入者名 ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
  入金(1000円)確認後 メール便にて発送(送料無料)
3、広島市平和資料館 SHOP 
4.ギャラリーアンティーク2010 
広島市上幟町 090−5267−7388
写真:留学生アケルケとCD作成東京スタッフとともに

「広島市平和資料館」のミュージアムショップって・・・この5月連休に行ってきたところじゃないか!
それに気づかなかった大馬鹿者!>じぶん


・・・そこで、巧まずしてこの5月にカザフスタンに渡航し、当ブログにもコメントを寄せてくださっている我が同志 sengyousyuhuさま!

アルマティ滞在記

お願い、現地でこの「ザマナイ」のCDを買ってきて頂戴
このすごいタイミングでカザフに行かれたあなたは、きっとそういう使命があるのよ(笑)
上記のCDも手に入れたいけど、現地のオリジナルもいいなあ。

歌っているのは、ローザ・リムバエバという人です。

at 22:15, 主義者Y, 原爆

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広島平和記念式「被爆者ほとんどいない」

 広島平和記念式「被爆者ほとんどいない」田母神氏が演説

とどまるところを知らないオッサンである。
「広島の知人がみんなそう言っている」から、こんなことが言えてしまうナイーブさは信じがたい境地である。こんな人物を武装集団のトップに据えてしまった自衛隊という組織は本当に大丈夫なのか?
皮肉ではない。佐官尉官レベルだったら多少はエキセントリックな人物がいたとしても不思議ではないが、軍事を担う本来業務の最高指揮者がこんな認識力(わざと政治的なウケを狙ったのではなく天然だと思う)だったというのは戦慄すら覚える。

今後、政治地図が塗り変わって自民党が少数野党に転落していったら、こういう人物に応援を頼むようになっていくのだろうか?先鋭的な歴史修正主義の結集が進んでいくのだろうか?

かつての急進左翼運動が過激化していった流れの裏返しのようで、憂鬱になってくる。

at 12:31, 主義者Y, 原爆

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原爆観測用ラジオゾンデ

先月の旅で長崎の原爆資料館は3回目の訪問になった。
丁寧に全ての展示を見ようとすると、やはり長大な時間が必要になる。残されたモノを見て、しっかり心に刻み付けるように努めているが、毎回目が吸い寄せられてしまうものに、米軍が投下した「原爆観測用ラジオゾンデ」がある。これは数多ある資料館の展示のなかで唯一、加害者の痕跡を示すモノだ。
これは原爆と共に落下傘で投下され、爆風や熱線の威力を計測してそのデータを自動送信する装置である。グアムの米軍基地では長崎上空での原爆の炸裂を、このラジオゾンデからの電波によっていち早く確認できたという。投下されたのは3個の装置で、風に流されて長崎東方の離れた地にバラバラに落ちたそうだ。



これを設計・製造した人間は、炸裂した火球の下でどれだけの人を消滅させ傷つけるかを知っていながら自分の仕事を遂行したのだろう。また「次の核攻撃」に備えて、冷徹に実行データを送るしくみをつくりあげたのであろう。こういうものを人間は狂わずに創ってしまえるものなのだろうか。

・・あるいは、アウシュヴィッツでのような地上の殺戮者でさえ、累々たる死骸の山を無感動のままに見やることができるほど「日常」に化してしまったことを思えば、不思議ではないのかもしれない。

熱線で焼かれた衣服や融けたビン類などとは違った意味で、毎回これを見るといたたまれなくなる。

at 12:26, 主義者Y, 原爆

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『生ましめんかな』

前回の記事に追記をせぬままに広島原爆の日が過ぎ、長崎原爆の日を迎えてしまいました。

長崎の大浦天主堂へ行く坂道の途中、ほとんど目立たない位置に「聖コルベ館」はあります。アウシュヴィッツで死を宣告された囚人のために自らを身代わりに申し出たコルベ神父、その行跡を偲ぶ場所がそこにあることを知らない人は多いでしょう。遠藤周作氏が保存を呼びかけた80年代に至るまで、その場所は誰にも省みられず朽ち果てるままでした。今でも決して訪れる人は多くはないけれど、100人のうちでも気がついたほんの2、3人でもいい、ここを覗いた人がコルベ神父の行いを知り心に留めてもらえれば、という氏の言葉を読んで胸が熱くなりました。キリスト教という信仰が異なっているにせよ、「伝えたい」という思いの強さは普遍的に心を打つものです。

長崎原爆の日。資料館にも再び行って来て思うところ書きたいこともたくさんあるけれど、私の拙い言葉よりまずは先人の点した火の言葉を紹介しておきましょう。このブログで以前にも書いたことはあるし、先刻承知の方も多いとは思います。しかし、ここを訪れてくれた100人のうち一人でも初見の方がいるのであれば、それでよいのです。

栗原貞子さんの原爆詩 『生ましめんかな』 です。



『生ましめんかな』

こわれたビルデングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも



at 11:21, 主義者Y, 原爆

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異様なアクセス数の原因は?

ふだんユニークヒットで100人前後なのに昨日は400人もいらっしゃったので、「何事?」とブキミに思って調べてみました。またどこかの有名右派サイトにリンクでも貼られて無礼な来訪者が来たら嫌だなあ、と思っておりましたところ

アクセスしてきた検索語で傾向がわかりました。

焼き場に立つ少年 226
しょうがない 187
ジョー・オダネル 91
香田 動画 75
職権消除 46
香田さん 動画 45
小田実 36
殺害動画 36
香田さん 29

「焼き場に立つ少年」「しょうがない」「ジョー・オダネル」で上位三つを占めてます。いずれも原爆がらみですね(『しょうがない』も時節がらそうでしょう)。
香田さんの殺害動画で久しくヒットしているのがおぞましい感じがします。ちなみにこのブログではリンクはしてませんし、私自身はその動画も見ていません。

ナガサキ原爆・ソ連参戦の日

焼き場に立つ少年


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at 09:06, 主義者Y, 原爆

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