ひどいもんだ




毎日毎日大量の迷惑メールがきてますが、最近は「有料放送を完全無料」ってやつがウザくてしょうがない。

ためしに昨日一日で届いたものを抽出して並べてみました。全部で46通。


著作権をないがしろにする「中国人」を罵倒する御仁も多いだろうけど、この国の現状もどうよ?

at 00:16, 主義者Y, 社会

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刑場公開

このブログでは死刑に反対とも賛成とも言ったことはなかったと思う。
今回の刑場公開で目にした写真は、死刑制度を考えるさいに必ず脳裏に甦る風景になるはずである。ひとはどのようにあの風景を目撃したのだろうか。

この世で最後に見る空間として想像した人はどのくらいいただろうか。おそらく死刑になる立場からこの風景を見た者が、そこから生還する可能性はゼロだろう。抵抗も哀願も交渉も、どんな奇跡も起こる可能性はなく、ただ定められた手順にしたがって死に赴く以外にはない。

執行のボタンが並んだスペースを見て、たぶん自分も幾千万分の一くらいはそれを押す力の一部にはなっているだろうと想像した人はいるだろうか。反対だろうが賛成だろうが、関心があろうが無関心だろうが、それは参政権を持っている国家共同体の一員としては事実である。

私はついついそういう目線で見てしまったので、あの刑場の風景はまるでトラウマのように記憶に残ってしまっている。実際に現場に立ち会ってしまったら、それこそ比較にならないくらいくっきりと刻印されてしまうだろう。

死刑について是非を断ずるほどの覚悟も気力も未だ欠けている私ではある。ただ、命というものは「贖う」ことのできるものであろうか、という疑いにいつも捕らわれている。死刑を肯う感情は「この世から消えてしまえ」という激しい憎悪ではないか。命は他の命と埋め合わせられるものではない。自分の生きているこの世界に、ともに居てほしくないと激しく望むのであって、決して代償を求めているのではない。

そういう「憎悪」がよくない、と言っているのではない。それほどまでに人を憎んだことのない者が「死刑に反対」を言うことが浅薄な響きをもつことを懸念するのである。

(追記)
「それほどまでに人を憎んだことのない者」などと他人のことのように書いているが、その中には私自身も含まれる。死刑制度に反対か賛成かと問われれば、やはり私は反対だと答えるだろう。ここで書きたかったのは殺人によってかけがえのない人を失った者(仮に遺族と呼ぶ。遺族は親族のみに限定されない)の「憎悪」にどう向き合うかを考えない反対論は力を持たないのではないかという懸念である。
もちろん「遺族」の悔しさを勝手に代弁する物言いにも同調しない。それも逆の意味で傲慢である。

(追記2)
かつてソウルで日本統治時代の刑務所に行き、死刑台を見たことがある。今回の刑場公開の写真を見て直ちに思い出したのはそのソウルで見た現場の風景である。上記のような感覚を覚えたのは、そのような下敷きがあったせいかもしれない。

at 12:38, 主義者Y, 社会

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