日本国憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
最近は「樺太」関係の書籍に没入している。なぜだろう(笑)
8月25日にやっと樺太でのソ連軍の戦闘行動が終了したようだ。宗谷岬には何度か行ったことはあるけれど、この海峡を必死の思いで渡っていった人々のことなど考えもしなかった。
樺太のことを考えるとき、残留朝鮮人の問題をはずすことはできない。上記の本では家族を樺太に残した朝鮮人の男たちが「密航」で樺太に渡っていく緊迫感が描かれている。また、多くの日本人たちもソ連軍の監視をかいくぐって、北海道に「密航」で逃げていく。満州の日本人たちとはまた違ういろんな環境・条件のなかで、生きる闘いが繰り広げられていた。
下の写真は札幌の北海道旧本庁舎内にある樺太関係資料館で撮ってきたもの。
ソ連の学制による通信簿。ほとんどの日本人はサハリンから引き揚げていきますが、ごく短い期間、ソ連式の教育制度で学んだ人々がいたのですね。
経済も当然ルーブル紙幣で営まれていたわけで。
国境付近の八方山陣地で戦った日本軍のヘルメット。
先月30日に75歳で死去した元「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)代表で作家の小田実さんの葬儀が4日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、親交が深かった作家の加藤周一さんや日本文学研究者のドナルド・キーンさんら関係者約800人が参列し、冥福を祈った。
冒頭、亡くなる直前に入院先の病院で撮影された小田さんの映像が流され「あと6カ月だけ生きて仕事がしたい。最後までいろいろ出かけてしゃべっていたい」と、気丈に語る姿にすすり泣く声が漏れた。
べ平連の発足当時のメンバーで哲学者の鶴見俊輔さんが「グローバル時代という鎖国の中で、自分を閉じこめられない大きな人。今も私の心の中に生きている」と弔辞を述べた。韓国の金大中(キムデジュン)前大統領の「日本が生んだ偉大なる市民運動家」との弔電も紹介された。
葬儀後、参列者約300人が追悼のデモ行進を行い、反戦歌として知られる「ウィ・シャル・オーバーカム」を歌いながら近くの公園まで歩いた。
参列した社民党の福島瑞穂党首は「5月ごろお見舞いした際『ベトナムの枯れ葉剤の問題など追及してくれ』と言われた。遺言と思い今後取り組んでいきたい」と声を震わせた。【神澤龍二】
| 1/1PAGES |