日本国憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
評価:
重信 メイ 角川書店(角川グループパブリッシング) ¥ 820 (2012-10-10) |
重信房子の娘、と言うより一個の優れたジャーナリスト。なんて、今さら紹介するのも失礼に思えます。ほんとうに立派な仕事をしています。
3.11そして福島原発の惨事からずっと穏やかでない日々が続き、いわゆる「アラブの春」の行方に目を向ける余裕がありませんでした。新書の1冊でわかるほど「中東」は簡単に理解できるものではないけれど、本書はこの間の認識の欠落を一気に挽回できたと思わせるほど手際よく、かつポイント深くアラブ圏の大きな動きを伝えてくれます。
マスメディア批判の姿勢を心がけながらも、やはり洪水のような報道の流れに知らず知らず見方が規制されてしまう・・・リビアの「革命」も、いま進行しているシリアの内戦も。
そして著者が最後に短く触れるパレスチナの叫びが、心にくっきりと刻まれました。
64年前のナクバは、いわば人類の心に刺さったトゲ、というべきかもしれません。そういう気持ちで本書を読んでほしいと思います。
幕末趣味から映画「桜田門外ノ変」を観たのがきっかけで水戸までオープンセットを見に行って、天狗党の騒乱に興味を持って吉村昭の小説を読み、大仏次郎の「天皇の世紀」でも水戸藩士・浪士たちの狂熱的な行動に驚いた私は、最近すっかり「水戸」にハマっています。
尊皇攘夷の思想的淵源は水戸学にあるわけですが、若き日の吉田松陰は水戸を訪ねて会沢正志斎から教えを受けているのですね。弘道館にはそのときの手紙が展示してありました。じつは弘道館を見学したのは二度目だったのだけど、今回初めて気がついたのでした。同じ場所でも知識が深まると見方も変わってくるものです。
私はどうもまあ何というか、バカを承知で走り出してしまう過激派な人間が大好きで(苦笑)、自分の融和的で臆病な性格からする憧れなんでしょうが、そういう人に惹かれてしまうんですね。そういう傾向の人が好むのが「陽明学」だったんじゃないか、とういうことで上記の本をちょっと前に買っておいたのでした。
人物的には大塩平八郎からはじまって三島由紀夫にいたる、「左翼」的な教養からはなかなか馴染めていない、じつに面白い流れを描いてみせてくれます。「武士道」を書いた新渡戸稲造なんかも登場してますが、儒教とキリスト教の親和性という角度から納得させられるものもあり、なかなかに腑に落ちるところがありました。
(南洲神社の墓地。西南戦争の死者の墓石が並ぶ。向こうに見えるのは桜島)
鹿児島の西郷南洲顕彰館でも、西郷〜陽明学〜キリスト教、三島由紀夫の著書まで含む展示に「?」な思いを抱いたのですが、この本を読んだ後では成る程という感慨です。専門的な研究者の間では無視されている安岡正篤がとりあげられているのも面白い。
それで最後に市ヶ谷駐屯地で割腹する三島に至るわけですが、彼の曽祖母の兄が宍戸藩主の松平頼徳だったという発見には「えええ!」と驚いたわけでした。松平頼徳というのは天狗党の筑波山蜂起にはじまる水戸藩の内戦で、江戸城詰めの藩主慶篤(斉昭の子)から頼まれて水戸に赴こうとするも門閥派の勢力に阻まれて、けっきょくは天狗党と共同して幕府に背いたものとされ切腹させられてしまう悲劇の人です。まあ、つい最近に仕込んだ知識なわけですが、それがスコーンと三島由紀夫という存在と結びついたのにいたく驚いたのです。
三島が226事件の青年将校たちに熱い思いを寄せたというのは周知のことですが、徳川慶喜を慕って長躯の転戦をしたあげく結局は慶喜の拒絶にあって悲劇的な壊滅に至る天狗党にもオーバーラップしてきます。
で、その割腹自決の日って、今日じゃないか。
ちょうどそのあたりに読みかかった今日が、40年前のその日とは・・・ゾゾゾ・・・というオカルトチックな驚愕がこのエントリーを書かせたわけです(笑)
わりと道楽趣味な幕末の世界から、陽明学というタテ糸をたどって意外な現代まで来てしまったのでした。三島の行動については「朱子学的本性を隠蔽」するために革命哲学=陽明学を借用したのではないかという、著者の穿った見方がとても面白く思われました。そのこと自体を展開するとまた大変ですのでここでは書きませんが、このへんすごく関心を開拓されました。
・・・しかし、右派系のブログでも三島由紀夫の命日を記念した記事を書いた人って、いるのかしらん?
ああ、それからコメントを寄せてくださった方になかなかレスを返せなくて申し訳ありません。中にはどう書いたらいいかわからないものもありますが。kuronekoさんのブログは以前からいつも拝見させてもらっていますm(_ _)m