自分に宛てられた手紙を読むことを許されない人間

まだ半分ほどしか読んでいないけど、少し思ったことを書いておく。

著者が死刑囚からもらった手紙の一部に、黒塗りがされていることに「これはなんなのだ?」と考える。
もちろん刑務官による検閲なのだけど、その意味や目的が皆目わからない。
死刑囚は大道寺将司である。彼の俳句が一行詩大賞をとったさいに主催者から自選の句を選んで欲しいと要請されたのに対して、いくつか書いた句が消されたらしい。

著者の辺見庸は、それが消された理由をいくつか推測してみるのだが決定的なことはわからない。
そして「死刑囚は人間なのか?」という問いに行き着かざるを得ない。

死刑囚の存在について根源的に問うくだりも読ませられるのだが、一転して天皇制とも通底する「人外」の在り方について筆が及んだときに私はギョッとした。

そういえば彼も、自分に差し出された手紙を読むことができないのだな。

それが当たり前のことになってしまっていることに、目だった異論が出てこないのはどうしてだろう。
いや、少なくとも私自身は強い違和感を覚えていた。
しかし「ひとり」で語る徒労感に、はじめから負けていた。

辺見庸は「ひとり」でやれることをやりましょうと言う。
まったくそのとおりだ。

「ことば」が届かなくなることに、慣れてしまってはいけないのだ。
権力者がウソをついたり、説明をしないことを、大したことではないと思ってはいけないのだ。

何が秘密であるかは秘密なんていう法律がつくられようとしている。
あまりの醜悪さに、あまりの愚かさに、言挙げしようという気力も衰えていたが

「ひとり」でできることは、せめてやっておこうかな。

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「永遠の0」

 全体としてよく描けた小説だと思います。書店には平積みで並んでおり、映画化もされるようです。

母方の祖父が実の祖父ではなく祖母が再婚した相手であり、実の祖父は終戦の直前に特攻で亡くなっていた・・・そのことを知った現代の息子が、フリーライターの姉の仕事を手伝うという形で祖父宮部久蔵のことを知る生存者に取材をしていくというストーリー。天才的な戦闘機の操縦技術を持ちつつ、「臆病者」と陰口をたたかれながらも戦争から生きて帰ることにこだわり続けた祖父は、なぜ最後の瞬間に生還するチャンスを自ら捨ててしまったのか。その疑問が読者を終章まで引っ張っていきます。

「必ず生きて帰ってくる」という約束が、読者の想像を超えて返ってくる。これがこの作品のいちばん感動を呼ぶところなのでしょう。そんなことがあり得るのか、というほどの邂逅を描くのは多用すると陳腐になりかねませんが、肝心要の場面での小説の手法としては有りだと思います。現実を突き抜けた出来事というものは、それは「奇跡」と言い換えてもいいかもしれませんが、人間の奥深い情念を顕わすときに無二の表現ともなり得るのです。そう、私もこの結末には涙がこぼれました。これだけでもこの作品を広く薦めて良いと思います。回想する元兵士たちの口を通じて述懐される特攻兵たちの苦悩、戦争の推移や軍の腐敗についても特に違和を感じません。たまさか訪れた特攻記念館に展示されている遺書を流し読みして「涙が出た。感動した!」と思い込む浮薄な観念よりも、何十倍もの想いを伝えてくれていると思います。

また、いくつかの書評を散見すると、最後にみすみす生きる機会を逸してしまった理由が明らかになっていないという感想を目にします。私に充分な回答があるわけではありませんが、それは「生きて帰る」という誓いを全うさせ得ないほどの「生き残ってしまう」辛さだったのではないでしょうか。ただそれも、その時代を経験をしていない人間の憶測であるかもしれません。あるいは時代とも関係なく、人が自死を選ぶときの「理由」を、当事者でもない者が明らかに手に取るように「理解」したいということ自体が傲慢なのかもしれません。でも・・・あえて書けば、宮部が直掩任務についた「桜花」隊の全滅が明らかなきっかけとして描かれています。それだけで私には「理由」は要りませんでした。特攻の惨たらしさは、確定された死への苦悩というだけでなく、もっともっと底暗い深さを感じます。この作品はそこに達していると思うのです。

回想の聞き取りを重ねて明らかになっていく真実、というある種平板な構成や、取材をする側の若い世代の描き方に厚みがない、といった気になるところを含みつつも、そのことがかえって読みやすさを結果していると好意的に捉えることもできます。(余談ですが、サイドバーに紹介している「男たちの旅路」では、特攻の生き残り世代の鶴田浩二に対して戦無派の若い世代である水谷豊は簡単に恭順などしておりません。それが「男たちの旅路」の魅力でもあります。)「特攻」という忘れるべきでない歴史を、受け取り伝えていく務めを私たちは負っている・・・そのことを第一に考えれば、この「永遠の0」は優れた作品として多くの人に読んでもらいたいと思います。

そのことを踏まえたうえで・・・やはり言っておかねばならないことがあります。
特攻を語る老人たちの年輪や言葉の奥行きに比べて、それに対する若者たちの薄っぺらさが過剰に演出されているというのか、特に新聞記者高山の(イメージ的には朝日新聞かと思われる)の描き方には露骨な悪意が投影されています。特攻=テロリスト論を吹聴する無礼きわまる男で、「平和主義」である姉もそれに簡単に感化されてしまいます。いくらなんでもそんな記者はいないよ、と思うくらいの非リアルな言動にちょっと辟易します。これは作者の百田尚樹が改憲軍拡論者であるという立ち位置からストレートにくるのでしょう。そう、この小説は反戦小説ではありません。特攻の悲劇を深い場所から描いても、戦争そのものを必ずしも否定してはいないのです。そこは押さえておかねばいけない。特攻という愚かな戦術を採らなくても、あるいはそういう愚かさが胚胎する組織的な腐敗を浄化して、まっとうに戦える軍隊を建設しよう!という方向へもこの小説は向くのです。

最後のエピローグとして、おそらく宮部久蔵と思われる特攻機が見事に米空母に突入します。プロローグの語りと対になっているのですが、なぜこんなシーンを入れたのでしょうか?非業の死ではあるけれど、天才的な操縦技術を駆使してついに本懐を遂げたとさえ思わせるカタルシスを読者に与えます。米兵に奴は「サムライ」だったと言わせ、自分は「ナイト」でありたいなんて、いかにも安っぽく気恥ずかしい締めくくり方になってしまっています。これでは凡百の戦争小説と同じ終わり方になってしまうではありませんか。どうしてこんな凡庸な美しい死にしてしまうのでしょうか。

at 17:16, 主義者Y, 読書

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「アラブの春」の正体   欧米とメディアに踊らされた民主化革命

重信房子の娘、と言うより一個の優れたジャーナリスト。なんて、今さら紹介するのも失礼に思えます。ほんとうに立派な仕事をしています。

3.11そして福島原発の惨事からずっと穏やかでない日々が続き、いわゆる「アラブの春」の行方に目を向ける余裕がありませんでした。新書の1冊でわかるほど「中東」は簡単に理解できるものではないけれど、本書はこの間の認識の欠落を一気に挽回できたと思わせるほど手際よく、かつポイント深くアラブ圏の大きな動きを伝えてくれます。

マスメディア批判の姿勢を心がけながらも、やはり洪水のような報道の流れに知らず知らず見方が規制されてしまう・・・リビアの「革命」も、いま進行しているシリアの内戦も。

そして著者が最後に短く触れるパレスチナの叫びが、心にくっきりと刻まれました。
64年前のナクバは、いわば人類の心に刺さったトゲ、というべきかもしれません。そういう気持ちで本書を読んでほしいと思います。

at 08:00, 主義者Y, 読書

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下北旅日記

 いちおうこんな本を携えながら旅をしております。これを読むと行きたい場所がいろいろ浮かんではくるのですが、車でないとなんとも移動がしづらいところです(泣)
プルトニウムを消費するためだけにフルMOX燃料で動かす大間原発(建設中)とか、4月の大きな余震のときに全電源喪失状態になった東通原発とか。まあ、そんなものばかり見に行く「観光客」なぞおらんでしょうけど・・・

軍事施設もたくさん集中しているのが下北半島です。アメリカ本土へ飛んでいくミサイルを捉まえたり、津軽海峡を通過しようとする潜水艦を捕捉しようとしたり、三沢基地なんかは攻撃部隊の発進拠点として昔からニラミをきかせていましたね。いまこのブログを書いているホテルの客室から見える釜臥山の山頂には、ボッコリとレーダーサイトが突き出しています。

昨日は恐山のあと、あの原子力船「むつ」の原子炉が展示されているという「むつ科学技術館」に行こうと思ったのですが、バス停から歩いていける距離ではないと言われ断念しました。それでポッカリ空いた午後の時間帯をどうしようかと思案し、結局往復4時間かけて大間崎まで行ってきたのでした。帰りのバスが無くなってしまうので20分ちょっとしか居られませんでしたが・・・

at 07:36, 主義者Y, 読書

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三島由紀夫の死から40年

幕末趣味から映画「桜田門外ノ変」を観たのがきっかけで水戸までオープンセットを見に行って、天狗党の騒乱に興味を持って吉村昭の小説を読み、大仏次郎の「天皇の世紀」でも水戸藩士・浪士たちの狂熱的な行動に驚いた私は、最近すっかり「水戸」にハマっています。

尊皇攘夷の思想的淵源は水戸学にあるわけですが、若き日の吉田松陰は水戸を訪ねて会沢正志斎から教えを受けているのですね。弘道館にはそのときの手紙が展示してありました。じつは弘道館を見学したのは二度目だったのだけど、今回初めて気がついたのでした。同じ場所でも知識が深まると見方も変わってくるものです。



私はどうもまあ何というか、バカを承知で走り出してしまう過激派な人間が大好きで(苦笑)、自分の融和的で臆病な性格からする憧れなんでしょうが、そういう人に惹かれてしまうんですね。そういう傾向の人が好むのが「陽明学」だったんじゃないか、とういうことで上記の本をちょっと前に買っておいたのでした。

人物的には大塩平八郎からはじまって三島由紀夫にいたる、「左翼」的な教養からはなかなか馴染めていない、じつに面白い流れを描いてみせてくれます。「武士道」を書いた新渡戸稲造なんかも登場してますが、儒教とキリスト教の親和性という角度から納得させられるものもあり、なかなかに腑に落ちるところがありました。


(南洲神社の墓地。西南戦争の死者の墓石が並ぶ。向こうに見えるのは桜島)

鹿児島の西郷南洲顕彰館でも、西郷〜陽明学〜キリスト教、三島由紀夫の著書まで含む展示に「?」な思いを抱いたのですが、この本を読んだ後では成る程という感慨です。専門的な研究者の間では無視されている安岡正篤がとりあげられているのも面白い。
それで最後に市ヶ谷駐屯地で割腹する三島に至るわけですが、彼の曽祖母の兄が宍戸藩主の松平頼徳だったという発見には「えええ!」と驚いたわけでした。松平頼徳というのは天狗党の筑波山蜂起にはじまる水戸藩の内戦で、江戸城詰めの藩主慶篤(斉昭の子)から頼まれて水戸に赴こうとするも門閥派の勢力に阻まれて、けっきょくは天狗党と共同して幕府に背いたものとされ切腹させられてしまう悲劇の人です。まあ、つい最近に仕込んだ知識なわけですが、それがスコーンと三島由紀夫という存在と結びついたのにいたく驚いたのです。
三島が226事件の青年将校たちに熱い思いを寄せたというのは周知のことですが、徳川慶喜を慕って長躯の転戦をしたあげく結局は慶喜の拒絶にあって悲劇的な壊滅に至る天狗党にもオーバーラップしてきます。

で、その割腹自決の日って、今日じゃないか。
ちょうどそのあたりに読みかかった今日が、40年前のその日とは・・・ゾゾゾ・・・というオカルトチックな驚愕がこのエントリーを書かせたわけです(笑)

わりと道楽趣味な幕末の世界から、陽明学というタテ糸をたどって意外な現代まで来てしまったのでした。三島の行動については「朱子学的本性を隠蔽」するために革命哲学=陽明学を借用したのではないかという、著者の穿った見方がとても面白く思われました。そのこと自体を展開するとまた大変ですのでここでは書きませんが、このへんすごく関心を開拓されました。


・・・しかし、右派系のブログでも三島由紀夫の命日を記念した記事を書いた人って、いるのかしらん?

ああ、それからコメントを寄せてくださった方になかなかレスを返せなくて申し訳ありません。中にはどう書いたらいいかわからないものもありますが。kuronekoさんのブログは以前からいつも拝見させてもらっていますm(_ _)m

at 19:42, 主義者Y, 読書

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E・トッドを読む

評価:
エマニュエル トッド
藤原書店
¥ 2,625
(2003-04-30)

 津波警報で日本じゅうが大騒ぎしていた一日、家で寝転びながら読みふけっていた。既読の人からすれば「今さら」と笑われてしまうのだろうが、久々に知的な興奮を覚えながら読み切った。識字率の向上と出産率の低下(前近代的な家族制から解放された女性の自己決定権の向上、とでも言い換えていいのだろうか)という切り口から、現代の世界を俯瞰して見る方法はじつに刺激的で説得力を感じる。イデオロギーの暴風=コトバを媒介とした暴力への大衆動員は、たしかに識字能力を最低限充足した一定の教育水準を前提としなければあり得ないし、深くその傷痕を残したあとに成熟した民主主義へ移行していくというのも、大きな傾向性として首肯できるような気がする。かつての日本軍国主義、ヨーロッパのファシズム、世界の1/3を席巻したスターリニズムもそうだ。(あるいは急進左翼運動へのシンパシーを寄せた自身の内面史を辿ってみても・・・汗) 現下のイスラーム原理主義の展開も同様の文脈で眺めていくと、巨視的には大きな流れの経過点と捉えることもできる。こういう発想で考えたことはなかったので、じつに驚いた。意地悪く個々の誤りを指摘すればツッコミどころも多々あるかもしれないが、この直感的なパースペクティヴを基盤に大いに議論すれば、かなり創造的な成果が得られるような予感がする。
私の勉強不足なんだろうけど、サヨクな業界のなかではそれほどE・トッドという人は話題になっている印象を受けないのだが、どうなんだろうか。

at 22:30, 主義者Y, 読書

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ノルウェイの森

エルサレム賞受賞のスピーチが、村上春樹のファンにパレスチナ問題に関心をもつきっかけをもたらしたのかどうかわからないが、私は村上春樹を読んでみるきっかけにしてみた。「関心をもってほしい」「読んでほしい」という政治派(?)文学派(?)双方向の期待は、ややもするとスレ違いになるだろうなとは憶測するけれども、どうだろう。
手に取ったのがなぜ「ノルウェイの森」なのか。それはただ単に、昔むかし兄の部屋でハードカバー装丁の本が場違いのように転がっていたのを見た記憶がある、というそれだけの理由だ。
なんとなくめくったページに「1969年」という文字をみつけ、大学のキャンパスが風景に使われているのが記憶にあった、ということもある。

で、作品の主人公は見事なまでに1969年の背景とは関わらないのである。
なのだけれども数十ページも読み進むうちに、私の読むスピードはだんだんと増していくのであった。この作品の登場人物たちがどうなっていくのか、気になってしょうがなくなってくるのである。
人が特定の小説やら作家やらを「好み」にしていくのは、多かれ少なかれ知的関心や自己あるいは周囲の人生経験・生活感覚と重なるものを感じるからなのだろう。

人間は誰しも不完全であるし、どこかしらは歪んでいる。その自己の内なる「狂気」の様を作品のなかに重ね合わせてしまうと、のめり込んでしまうようだ。その限りにおいて、束の間孤独というものから逃れられるのかもしれない。

いや、私は主人公ほど、ふしだらな生活経験はない(笑)。いちおう念のため。

しかし、この作品がことほど人口に膾炙しているというのは、それほど「歪んだ」人々が多いということなのか(皮肉じゃありませんよ。念のため)。
街頭デモより、もっと見えにくいマジョリティだ。ほんとうを言えば私もそちらのほうに埋もれてしまいたい。でもね・・

ああ、爆弾が降ってくる緊張もなく、家族を養う責任感もなく、明日の生活を危ぶむ心配もないから、こんな悠長なことが書けるのか。

ただ、カッコ悪くてもいいから長生きしようと、この数年で考えを改めた。
だから面白く読めたのかもしれない。 うむ

at 17:11, 主義者Y, 読書

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「神聖喜劇」読了

神聖喜劇〈第1巻〉
神聖喜劇〈第1巻〉

やっと最終の第五巻を今日読了。しばらく中途で放っていたのを、対馬旅行で再開しました。ひょっとして1年以上もかけてしまったかな。なにしろ硬い文体だし、古今東西の文献を引用しまくり、その驚異的な教養世界の奥深さに圧倒されて、読むのにエネルギーが要ります。それが魅力のところでもあるのだけど。旧軍の組織・人間を知識人の目で切り取った小説としては、やはり最高峰なのではないかと思います。

「模擬死刑の午後」のところはグッときたなあ。

小説を挫折しそうな方はコミックを。こちらも力作です。
原作をうまく凝縮していて、それでも膨大な文字数にはなるけれど
面白くて一気に読めます。

神聖喜劇 (第1巻)
神聖喜劇 (第1巻)

博多から夜行フェリーで対馬の厳原に渡ったのも、主人公東堂太郎のマネをしてみたかったから(笑)
などと個人的なメモ記事。
ああ、世情は揺れ動いているのに筆不精(出不精?)になってるなあ。

at 22:57, 主義者Y, 読書

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貧困襲来

貧困襲来
貧困襲来
湯浅 誠

読みやすく判りやすく、理路が整ってまとまった認識を与えてくれます。また、何を為すべきかの方向を示唆しています。

いま「痛み」に耐え続けて、経済が活性化すれば、企業が成長していけば、いつかきっとその利益が「おこぼれ」が庶民にまわってくる・・・これを称して「おこぼれ理論」という。
・・・などと他にも楽しい言い回しがたくさん。

経済弱者を食いものにする「貧困ビジネス」の実態は、読んでて腹が煮えくり返ります。

「社会保障のお金が足りないなら、その分の消費税を上げるのはしかたが無い」なんて考えがちだけど、じっさいには消費税を上げた分はしっかり法人税が下がって+−ゼロなんですね。それで現実には毎年確実に社会保障費は削られていくわけです。

そういう基本をしっかり本書はおさえて、私たちに見えない「貧困」を示してくれます。

気がついてみると、サイドバーの図書紹介には一冊も「貧困」関係の書籍がありませんでした。これではイカン!!
というわけで、この本をお勧めします。サイドバーにも掲げます。

もっといいのは、著者も書いているけど、地元の図書館にリクエストを出すこと。
本を買うお金のない人にこそ、本当は読んでほしいから。

まずは「自己責任」の呪縛から自由になろう!


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at 21:40, 主義者Y, 読書

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「しょうがない」で済まされるか!

下痢・腹痛がもう5日続いています(泣)
そんな低空飛行状態にもかかわらず、久間アホ大臣の発言が私のハートに火を付けました(怒)
体調を考えてさすがに遠出はためらい、今日は読書で過ごしています。

文民統制 自衛隊はどこへ行くのか
文民統制 自衛隊はどこへ行くのか
纐纈 厚

↑は読了。「自衛隊は国民監視をしてよろしい」というアホ発言に奮起して読み始めておったものです。
「軍隊」の存在を想定していない日本国憲法の体制で、文民統制は防衛官僚(いわゆる背広組)による「文官統制」という独特の方式で形成してきたのだなあ、と改めて認識しました。いままでの背広組による統制だってロクなものでない、と私は思ってますが、自衛隊の幹部連中(制服組)はそれすら鬱陶しいものとして、文官との「対等化」を要求しはじめているようです。「軍事のシロウトが俺たちに指図するな!」という怨念でしょう。
現在は軍政(予算・人事など)軍令(作戦行動など)の両面にわたって防衛省の役人が権限を握り、自衛隊(軍人)がそれに従うという構造です。これを打破したい。文民統制のタテマエまで破ろうというのではないけれど、防衛大臣の直下に制服のトップを格上げしたいという意図ですね。
これの何が問題か。
役人ならば(それがいかに軍事偏重の思想に染まっていようとも)政治や外交の論理に目を配り、軍事をそのなかに位置づけてそれなりのバランス思考をする。軍人は軍事の専門家ですから、その発想から政治・外交を考えようとする。これは大きな違いです。軍事の論理がさらに生々しく主張を強め、ミサイル配備だの米軍との協同作戦の必要だのという発想から政治に口出しをするようになる。

さらに言えば「文民統制」とは本来、民主主義的統制であるべきなのですが。
首相〜防衛大臣、防衛省という「行政」からの統制に限らず、国会を通じた国民からの統制こそが大切なのに、これが実質機能してません。私たちは情報保全隊の活動内容を知ることはできないし、ましてや掣肘することもできません。防衛大臣が拒否すれば、それでお終い。私たちの税金使って高校生の反戦デモを監視している、ということは説明しなくて済むわけです。なんと素晴らしい文民統制!

テロ対策特措法では、自衛隊の海外派兵に対して国会の事前承認を必要としないですしね。
で、自衛隊はさらに、もっと好き勝手がしたいと言う。

・・・あ、腹がまた痛くなってきた・・・

やっと標題の「『しょうがない』で済まされるか!」ですけど(笑)
これも久間のアホ発言にブチ切れて読みはじめました。買い溜め本の山から引っ張り出して、今日からページをめくっています。まったく、いい読書ペースメーカーだなあ(嘆息)
大空襲と原爆は本当に必要だったのか
大空襲と原爆は本当に必要だったのか
A・C・グレイリング


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at 20:10, 主義者Y, 読書

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