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どこに「復帰」したのか?2012.05.15 Tuesday
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このごろ疲れて帰って、すぐ寝てしまうパターンが多いのだけど、ひと言。
原発をやめることは、未来の世代に対する責任。
これを「タテ」方向の責任、あるいは時間的な責任とすると、
沖縄から基地をなくすことは、犠牲を強いる多数者の側であることの責任。
これは「ヨコ」方向の責任、あるいは空間的な責任。
どちらも沈黙したり、何もしないでいることは無責任の謗りを免れない。
どちらも日本に住んでいる人間(大人)としては、何人たりと例外なく責任を免れない。
そう考えています。
だから以上の2点に関しては、誰に対してもムキになります。
1972年5月15日沖縄「復帰」 から40年目の日
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日本じゅうの全原発が止まった第一日2012.05.06 Sunday
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東海村を歩いてます。

来ました。原子力科学館。東海駅から歩いて50分。
うへぇ

これを見に来たのです。日本初の臨界事故を起こした沈殿槽。

記念すべき日でござんす。アインシュタインは使ってほしくないなあ。

JCO臨界事故の展示コーナーを設けています。

核分裂ドミノ。すばやく制御棒を差し込んで、意図した板だけ倒すそうだ(笑)

現在0・0563マイクロシートベルト毎時。
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岡倉天心の六角堂2012.05.05 Saturday
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昨日は銚子。今日は北茨城の五浦海岸に来ています。この六角堂は昨年の津波で流されてしまいましたが、先月再建されたそうです。

ここで天心は一日じゅう海を見ていたとか。
いいなあ

天心の墓です。
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ザマナイ〜時代よ!〜 (日本語版)2012.04.14 Saturday
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この歌を歌っていらっしゃるTOMOKOさんよりコメントをいただきました。
http://ichyamada.jugem.cc/?eid=969#comments
第五福竜丸が被曝した1954年以降、日本のあちこちで放射能雨さわぎが起きました。それはアメリカだけでなく、ソ連でもまた大気中の核実験を繰り返した結果でもあったのです。
おりしもビキニ水爆実験にかかる記事を続けて書いてきたタイミングでしたので、TOMOKOさんから「ザマナイ」についてのコメントをいただいたことにちょっと驚きました。こちらは旧ソ連の核実験場にされてきたカザフスタンが舞台なのですが、ここでもあちらでもどこでも、どうしてこんなにヒバクシャをつくりだしてしまうのか・・・と胸が詰まります。
「ひとの誇りよ いま いずこ」
TOMOKOさんの歌う日本語歌詞を、じっくりと噛み締めてください。
これは、どこの、誰の悲しみを歌ったものですか?・・・まるで今の日本の、私たち自身の苦しみでもあるのではないでしょうか。
このYouTube動画には森住卓さんが写真を提供してくれたとのこと。たいへん喜ばしいことです。ぜひ、この歌のすばらしさを広めてほしいと思います。
永遠の歌を求めて
ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
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「第五福竜丸」2012.04.13 Friday
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レンタルで観てみました。
むかし、これを学校で見ていた自分は眠っていたのか(苦笑)
それほど観終わったあと、怒りと悲しみの感情が渦巻きました。
「ストロンチウム90なんて、やっかいなものが身体の中に入っちゃあ、しょうがないね」
久保山愛吉さんを演じる宇野重吉がベッドのなかでつぶやきます。
たまらないです。
展示館で買った大石又七氏の本をいま読んでいるのですが、第五福竜丸の乗組員だった同氏もこの作品は事実経過に即してよく描いていると評しているようです。新藤兼人監督は丹念なインタビューを重ねてこの作品を撮ったのでした。
加害者の傲慢と無神経さ。そして50年代の日本が見えます。
久保山さんの遺骨を抱えて焼津に戻る妻(乙羽信子)と娘たちに、次々頭を下げて悼む人々が描かれるシーンが印象的でした。なぜそこまで執拗に弔意を示す人々を表現したのか・・・
年表的な知識ではこのあと、杉並区の女性たちが始める原水爆反対の署名運動が爆発的に広がっていきますが、そこにつながっていくんじゃないか、と想像しました。
思い起こさねばならない歴史です。私自身50年代というのは生まれる前でもあるし、敗戦と60年安保の間という、俯瞰した歴史としてもなかなかイメージが掴みきれない時代です。そして私に限らず、多くの人が忘れかけている時代ではないでしょうか。
また、脱原発をめざす人ならば観なければいけない作品、と敢えて言いましょう。はじめての原発予算がついたのが、この1954年という年なのです。核エネルギーの「平和利用」という考えは、ビキニ実験への怒りの記憶を封じ込めるという意図もあったのです。
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歴史は新しくなる2012.04.11 Wednesday
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中学のときだったか高校のときだったか、第五福竜丸の映画を学年全員で観させられたことがある。宇野重吉が久保山愛吉さんの役で出ていた白黒の作品である。それは憶えているのだが、その後船が保存された現地に連れていかれたのかどうか記憶が定かではなかった。先日夢の島の展示館に行って、木造船の迫力に気圧された衝撃を思うとやはり初めての訪問だったのだろう。
福島原発の惨事以来、事故をめぐる経緯や原発政策をめぐる考察はもちろんのことだが、もっと広く放射能が人間に与えてきた惨禍を見まわしてみたくなった。先日地元の市民グループが企画した映画会に第五福竜丸展示館の学芸員の方が来て、その話を聞いたのが現地へ行って見てみようと思い立ったきっかけだった。
展示館は新木場の駅から歩いて10分くらいのところにある。船を覆うように建てられたドームの内側に当時の様子を伝える資料が並べられていた。それはきっと3・11の前に訪れていたら、核被害に対して鈍磨してしまった感覚にあるいは淡い印象しか印さなかったかもしれない。しかし「フクシマ」を経験し、その現実を現に背負い続ける今、悔恨にも似た痛みを覚える。
・・・放射能の急性障害で亡くなった久保山無線長を含めた第五福竜丸の乗組員たちは僅かな「見舞金」を受けたが、賠償としてそれを受け取ったわけではない。その後乗組員たちは既に半数以上がガンなどの病疾で亡くなっているが、追跡した健康診査を受けたわけでもなく被曝との連関を認められたわけでもない。だだ忘れ去られたのみだ。
被曝したのは第五福竜丸だけではない。太平洋上に散らばって漁をしていた数百の漁船が放射能に汚染された漁獲類を大量に廃棄せざるを得なくなった。それらの人々の健康に影響がなかったのか調査もされなかったし、被害に対する補償ももちろんなされなかった。
ビキニ環礁に住んでいた人々は「実験」のために強制移住をさせられた。理不尽な思惑によって生きる場所を奪われた人々。ここにも放射能のために命と健康を奪われながら、けっして償われない人々がいる。「恩恵」としての医療を受けながら、権利としてのそれは認められない。いまも水爆が炸裂した生まれ故郷に戻ることはできない。それは本当に酷いことではないかと、今さらになって思いが及ぶ・・・
「3月14日」で止まった日めくりのカレンダー
当時のいかつい格好をしたガイガーカウンター
「死の灰」を入れた小瓶の横には、検出された放射性元素の表がある
もはや馴染みになった名前が並ぶ 「ストロンチウム」 「テルル」 「ヨウ素」 「ネプツニウム」
身体の中で血が駆け巡る
ひととおりざっと館内を見回ってから、入口近くにあったボードをまじまじと見つめた。『沈めてよいか、第五福竜丸』 武藤 宏一
第五福竜丸。
それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。
決して忘れてはいけないあかし。
知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。
今から14年前の3月1日。太平洋のビキニ環礁。
そこで何が起きたのかを。
そして沈痛な気持ちで告げよう。
いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗りつぶされ、船名も変えられ、
廃船としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接した15号埋立地に
やがて沈められようとしている。
だれもがこのあかしを忘れかけている間に。
第五福竜丸。
もう一度、私たちはこの船の名を告げあおう。
そして忘れかけている私たちのあかしを取りもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
いま、すぐに私たちは語り合おう。
このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして。
(朝日新聞 1968年3月10日 「声」欄より)これを読んだときもそうだったが、今思い出しても目が熱くなる。
ゴミの山のむこうに打ち捨てられた木造船の写真が、「あかし」を忘れ去ろうとする私を揺さぶる。私と私たちは、忘れるべきでないことを何度も忘れてきた。
平易な直截的なことばだが深く胸を穿つ。無名の詩人の声が、かつてたしかに多くの人々の心を揺るがした。「声」を聴いた者は、他の人間にその「声」を伝える務めがある。
忘れないためには、意志と力が要るのだ。
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夢の島2012.04.08 Sunday
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第五福竜丸展示館に来ています。



本来、築地市場にあったものです。
(追記)
それは間違い。築地市場に埋められたマグロを記念するため、乗組員だった大石又七氏が呼びかけて作った石碑で、いつか現地に据え置かれるまでの間、この展示館敷地に置かれたものらしいです。題字も大石氏のもの。大江戸線「築地市場」駅に、当時のことを示すプレートがあるとか。
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「皆さんは国民に対して命令する立場に立つ」2012.04.02 Monday
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橋下市長、新人に厳重注意「君が代を歌うときは気を付けの姿勢で」
大阪市北区の市中央公会堂では同市の新規採用者発令式が行われた。同市では3月に市立学校の教職員などを対象とした国歌起立斉唱条例が成立したが、式では約140人の新人全員が起立し、混乱はなかった。 橋下徹市長は「公務員たる者、ルールを守ることを示さないと。皆さんは国民に対して命令する立場に立つ。学生のように甘い人生を送ることはできない」と訓示。退出間際には「君が代を歌うときは、手は横に、気を付け(の姿勢)で」とくぎを刺した。
「気を付け」を求めるのも狂っていると思うのだが、公務員が「国民に対して命令する立場」とは・・・・!!!
産経新聞の引用が正確な言葉なのかわからないけど、絶句。
そのことについて何もコメントしない記事も異様と言うほかはない。どうせ産経だから、ということでよいのだろうか?
そしてその上からの「命令」に従順に従う規律正しき職員たち。アドルフ・アイヒマンのような。
自分で判断し責任をとる仕事のできない人間が公権力を担っていくと、どうなるだろうか。3・11のあと今日に至るまで、嫌というほど目の当たりにしているよね。
橋下を選んだ人たちは、その結果を味わうといい。
何度も同じように、あとで「騙された」なんて言わないでよ。
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